2022/04/19

■あはれダリア 中原道夫『橋』より

回文に「ダリアもありだ」幸彦忌  中原道夫

※「回」は旧漢字

攝津幸彦の忌日は10月13日。ダリアの花期(晩夏から秋)とぴったり一致とは行かず、

 南浦和のダリヤを仮りのあはれとす 攝津幸彦

からの変奏の側面の強い句。

私は、南浦和駅を通ったことはある、降りたことがあるかどうか定かではない、歩いたことはないような気がする。つまり、南浦和にとくだんの思い入れはなく、ダリアの花も同じ。特徴のある花だとは思うが、とくべつ好きな花でもない。なのに、どうしてこんなにこの句が好きなのか。

〈好き〉に理由はなく、理由のある〈好き〉はそれほどの好きでもないとも思うので、それは、というのはつまり理由については、あまり考えることも語ることもなくはやばやと切り上げるのですが、摂津幸彦には、ほかにもダリアの句がある。《押入れのダリヤの国もばれにけり》なんてのも、悪くない。

ついでに、掲句、インターネットで引用を見ると、「仮り」と「仮」、両方の表記がある。正しくは前者の模様。

で、ついでついでに、この句の入った句集『鳥子』(1976年)のひとつ前、最初の句集『姉にアネモネ』(1973年)には、

 喉元を過ぎて四谷の椿かな 同

があり、地名+花として、自分の中ではペアになった2句。

あ、そうそう。掲句。

回文の「仮」感、ことばとしてどこへも行かない感、ことばがことばとしてそこにとどまる感も、考えてみればそうとうなもので、となると、いろいろな接合部でもって、攝津幸彦へと繋がる句。

掲句は中原道夫第14句集『橋』(2022年4月1日/書肆アルス)所収。



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