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27 川合大祐 2019-12-16
・・・・・を説明するために用いられた最も重要なモデルは、死や拷問や殉教のモデルであった。悔悛の理論と実践は、自分の信仰を傷つけたり棄てたりするくらいならむしろ死を選ぶ、そうした人間の問題をめぐって磨きあげられていた。殉教者が死に直面するその仕方が悔悛者にとってのモデルである。堕落した者・・・・・・・世界との断絶の、装いである。・・・・・・死に直面して死を受容できることを示す方法である。罪の悔い改めは、何らかの自己同一性の確立を目標とするのではなくて・・・・・・ Ego non sum,ego〔過去のわれはもはや存在せず、存在するのは新しいわれである〕・・・・・・自己明示は同時に自己破壊である。
(ミシェル・フーコー『自己のテクノロジー』より抜き書き)
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