2016/06/24

【句集をつくる】第12回 出す出さないは大きな問題ではないという享楽面からの判断

このシリーズを読んでいる人から、「句集、出す気、ないでしょ?」と言われたことがあります。

「いや、そんなことはないですよ」と答えてみたものの、鑑みるに、自分が句集を準備しているということを想像するだけで、じゅうぶんに愉しい。実際につくらなくても、満足感は得られるものだなあ、などと、のんきに愉しんでいるフシが、たしかに、ある。

アタマのなかには、何十もの、あるいはそれ以上の「具体的な」ページが出来上がっている(句が出来上がっているというのではなく)。イメージはすでに、あるのだ(まだ誰も読めない、自分でさえ読めないけれど)。

句集づくりにまつわる愉しみの何割か(あるいは大半)はすでに味わっているような気さえする。

それに、前にも言ったけれど、「つくる」と「出版する」はべつもの。原稿を完成させた時点で、はい、終了、という選択もあります。これなら、自分や誰かは読める。

(Wordでいいじゃん! 検索できるし)

ただ、リアルの愉しみは損なわれる。版元をどうするか? 紙は? 装幀は? といった悩みも、句集づくりのお楽しみメニューの項目に入っている。それが味わえないのはつまらないという意見もあります。ま、いま決めなくてもいいことですね。



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