地獄のミサワの女に惚れさす名言集
惚れさせ1937「本屋」
さて、今回は句集がどのように読者の手に渡るのかという問題。
句集/自費出版句集には贈呈が付き物、というか、ほとんどが贈呈でハケるというケースのほうが圧倒的に多いでしょう。
ところが、北大路翼『天使の涎』(2015年5月/邑書林)は、この慣例を踏襲しなかった。
そして僕が一番こだはつたことはバラ撒かないことである。直接お世話になつた数名以外一冊も謹呈しなかつた。贈呈ということ、いま一度、考えてみていいように思いました。自分の句集の場合も。
http://furansudo.com/award/07/jyusyou.html(受賞者の言葉 北大路翼)
理由は、しかし、『天使の涎』とは異なります。
(女の子には酔つ払つてだいぶあげちやつたけど)お金を払つてもいいといふ人にだけ読んで欲しいと思ふ。せこいと思はれるかも知れないが、金銭にこだはるのはあたり前のことだ。プロになる希望がなければ、後進が俳句に興味を持たないのは当然だらう。私の場合は、こんな気高い観点ではありません。贈呈された側の気持ちの問題です。
http://furansudo.com/award/07/jyusyou.html(同)
句集を贈呈されて、はたしてうれしいのだろうか?
むしろ、気が重いのではないか。つまり、迷惑なのではないか?
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私も、贈呈いただくことがあります。なかなか礼状を出せずにいることを気に病みはしますが、気が重いことなど、ない。言い訳・言い逃れではなく、正直、そう。
だから、贈呈が迷惑だなんて思いも寄らなかったのですが、けれども、誰もが自分と同じとは限らない。そのことに、ふと気がついた。
私の句集をもらって、喜ぶ人と気が重い(イヤな)人の比率は、どのくらいなのか(「何も思わない」という人は除くとして)。
5対5? いや、それは甘い。2対8?
このように考えていくと、こちらからの贈呈は、きほん、しない。ごく限られた数人だけ(言い換えれば、迷惑になっても許してくれそうな、気のおけない人たちだけ)にする、という結論に到りました。
次に出る句集では(出たとしてですが)、
1 興味のある人には、連絡をもらい、送る(リクエスト→贈呈)
2 句会のときなどに、好きに持って帰ってもらう
3 購入してもらう(オンラインショップ他)
この3つ。
「贈呈迷惑」を避けるには、このかたちがいちばん良さそうです。
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