切れ字「や」はその点、読みを明瞭にしてくれる。でも、そうじゃない句のケース。「切れ」というより、句読点の話に近いのですが、例えば、
春はすぐそこだけどパスワードが違う 福田若之
ふつう、
B 春はすぐそこだけど、パスワードが違う。
C 春はすぐそこだけど。パスワードが違う。
受け取る意味はほぼ同じ。だけど、感触が違う。リズムや口調・口吻が違うせいですね、きっと。
BとCは句点と読点が違うだけだけど(つられて「だけど」が多くなる)、Cは「すぐそこだけど……」と言い差しあるいは省略の要素が入ってくるから、やはしすこし違う。
と、ここで、もうひとつの区切り方。
D 春はすぐ。そこだけど、パスワードが違う。
かなり無理筋とは承知しつつ、ないわけではない。
この「そこ」は例えばモニター画面のパスワード入力部分。後半がセリフのように響き、
D’ 春はすぐ。「そこだけど、パスワードが違う」
といった趣。
俳句はときどき〈六方が開いた箱〉みたいに出入り自由に開かれているので、こうした〈読みの遊び〉も許してくれる。
ラヴ&ピース!
なお、区切り(切れ)が揺れるのは、掲句のように、いっけんすらっと〈一文〉になった句とは別に、終止形と連体形が同型の口語体、句の途中の名詞が前後の用言のどちらに掛かるか決定できないetcのケースでも起きる。実際は、これらのほうが頻繁。
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