2018/08/09

■抱く 週刊俳句・第583号の八鍬爽風句

三毛猫を蛆ごと抱きて石を売る  八鍬爽風

三毛猫ではなかったけれど、猫を蛆ごと抱いたことがあります。

猫は、死に場所を人間に見られないように死んでいく、といいます(真偽の程は不明)。

家から出さずに飼っていたら、それはムリでしょう。実際、前にうちの猫が最期を迎えたときは嫁はんの腕の中で息を引き取りました。

けれども、むかしむかし、病気でほとんど動けなくなったはずのご近所の猫が、縁の下に横たわっていたことがあります(なんとかそこまでたどり着いたんですね)。まだ息はありましたが、蛆が大量に湧いていました。あいつらは、死を待たずに湧いたりするのでしょうか。ともかく、からだを床に寝かせて、知人がひとつひとつ蛆を指で取っていきましたが、キリがありませんでした。

だから、何が言いたいのかというと、この句の景色、痛々しいような凶々しいような景色は、一読、想像のたぐいと読む人がいるかもしれませんが、きわめて現実的な事象なのですよ、ある人々(私を含む)にとっては。

下五の「石を売る」は間テクスト性を狙ったものかもしれませんが(つげ義春)、このように別の行為へと句が移っていくよりも、その場に立ち尽くす句であってほしいと、私個人としては思ったのでした。

掲句は、週刊俳句・第583号〔2018年6月24日〕掲載・八鍬爽風「そうふうのはいく」より。

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