2017/09/12

■その場で鳴っているはずのない季語の話

映画音楽を大きく分けると、ふたつあって、

1 シーンの中で実際に音楽が流れる

2 シーンで現実に鳴っていない音楽が付加される

ごくあたりまえの二分法です。

「1」は、酒場に入るとバンドが演奏していたりカーラジオから曲が流れたり。「2」は、例を挙げるまでもない。宇宙空間でシンセシザーが鳴るわけはないし、短距離走のバックに交響曲が鳴り響くわけはない。けど、そのシーンに音楽が足されたりする。

「1」は、実(じつ)の音。「2」は、虚の音と言ってもいい。

多くの映画は、「1」と「2」の両方が出てくる。

で、『地獄の黙示録』の「ワルキューレの騎行」のように、「1」と「2」の区別をうまく利用した趣向もありうるわけで。

ちなみに、昨日の記事、『ベイビー・ドライバー』は、タイトルバックあたりを除けばすべて「1」という点がとてもユニーク。ほんとシャレてる(昨日にひきつづきべた褒め)。


ところで、この「1」と「2」の区別から、季語へと思いが到ったわけです(俳人か?)。

例えば、上五中七に室内のことが書いてあって、下五がとつぜん「星月夜」、みたいな句は少なくないのですが、あれは、映画音楽における上記「2」と解せばいいのですね。ムードを出している。

場面転換にムリのある句ばかりではありません。いわゆる「取り合わせ」の多くが「2」のように思えてきました。

取り合わせで植物、花が出てくる句は、実際、その場にそれが咲いている・生えている、というより、ムードを出しているケースが多い。忌日や記念日も、そのものが詠まれることは稀で、もっぱら取り合わせ。これなど、ムードそのものです。

季語の使用、「1」「2」の両方があっていいのですが、私自身は、なるべく「2」の用法を避けていきたい所存。これはもう数年とか十数年のもくろみであります。

ラヴ&ピース!


0 件のコメント: