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瀬戸正洋『俳句と雑文A』(邑書林・2009年4月)を読む。
隕石と冬のキャベツと人間と
鉄亜鈴とボデイガアドと菖蒲湯と
名詞を三つ並置した句がわりあい目立つ。きっと、ふだんあまり見ないかたちだから、目に止まるのだ。助詞「と」でつなぐだけだから、措辞としての彩(あや)はない。何と何と何が並ぶかが、句の組成だ。ところが、俳句には「二物衝撃」とか「取り合わせ」とか言って、二つの事柄の案配(ぶつかり方・寄り添い方・展開)で興趣が成り立つことが多い。
この句集に散在する「三つ並置」は、そんなことはお構いなしに、三つが並ぶ。ひとつひとつが象徴作用を伴う詩的な用法でもない。
五七五の韻律の範囲で並ぶものばかりでもない。例えば…
鏡の中のクリスマスツリーと継母
月下美人とジャスピアニストと潮騒と
これはメモなのだ、と、読んでいるうちに思う。単なるメモが、俳句という形式のなかで「とても不思議なメモ」になっていく。
作者の身の回りに「あるもの」「起こること」をメモのように並べていく。俳句的な彩(あや)などなしに。
描写、うまい言い回し、語の工夫、そうした彩(あや)が無粋に思えることがある。一生懸命、言い回そうとする句は、しばしば無様でうざったい。
この『俳句と雑文A』に収められた句は、ブツが、事件が、ただ並ぶ。ところが、それが不思議なのだ。
三鬼読む気象記念の日なりけり
無断欠勤足長蜂は肩のうへ
扇風機指圧師腰痛を嘆く
このあたりは、メモ風の日記のようだ。作者の腰を揉む指圧師が、実際、腰痛を嘆いたのだろう。そばに扇風機。
ドビッシイ「海」蚕豆茹でにけり
低気圧高気圧毛糸編みにけり
ドビュッシーの「海」が流れ、蚕豆を茹でた。また別の日は、天気予報か頭の中か、低気圧高気圧が生起する。そして毛糸を編んだ。ただそのことが句として書かれてあり、それが不思議な感興をもって私を喜ばせる。
美熟女にしびれて電気毛布かな
俗な言い方の「美熟女」から俗な「電気毛布」へ。ところが句全体は、俗に堕する一歩手前で、私を笑わせてくれる。
真夜中の絶叫憲法記念の日
絶叫も憲法も、アレな、というのは、余計なコノテーション(潜在意味)が滲み出てしまいそうな語なのに、この句は好ましく素っ頓狂。
強い語を並べながら、脱力系の興趣を生み出す。不思議な句群です。
扇風機の「弱」動かなくなりにけり
五月闇へんな力の湧きにけり
視力検査椎茸焼いてゐたりけり
田水沸く小学校と中学校
ああ、この『俳句と雑文A』、随所に不思議な句が…。
気持ちよくハマりました。
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