2014/01/29

■句集を読むのはきほん楽しいのです

昨年末からこの一月にかけてわりに近しい人(あるいはそうではない人)の句集が相次いで刊行。手元にあってまだ拝読していないものもあります。

句集を読むのは好きです。

一般に俳句をやっているとふだん句会でいろいろな句に接するわけですが、それは句になる以前、というか、(前に書いたことがあるように)楽屋です。まだ舞台ではない。舞台に上がった句を読むのは、また別のことです。

句会で他人の句を読んでいるだけでは、〈俳句を読む〉ことの一部を経験しているにすぎない、という考えです。

句集よりも小さな舞台、例えばどこかの雑誌に10句なりを発表、これも、句集とは少し違う。句集は(古い句集、物故作家も含め)やはりその人の大きな覚悟があると思うので、読むほうも、他とは違うものととして読む。だからといってたいそうに力を入れる必要はありませんが。

 

句集について書いた記事は、

リトル・ホンダと小瑠璃 野口る理句集『しやりり』の一句
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2014/01/blog-post_17.html

住所:瓢箪の中、特技:痛飲 西村麒麟句集『鶉』を読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/01/blog-post_5049.html

書いたものをどこに載せるか(このブログか例えば週刊俳句か)については、そのつど迷ったりしながら決めています。原則があるわけではありません。

近いうちに書きたい(何を書くのかというおおおまかな設計が頭の中にすでにある)のは、榮猿丸『点滅』と渡辺隆夫『川柳 六福神』。おそらく週俳に寄稿すると思います。

去年読んだ佐々木貴子『ユリウス』にもどこかで触れたいのですが、この句集、読んでいて苦しくなるというところがあって、その苦しさとどう向き合って書くか、そのへんを考えているうちに少し時間が経ってしまいました(レビューは、すぐ書くのがいいわけではないから、それはかまわないのだけれど)。この「苦しさ」についてはもっと説明が要るが、ここでは省略。

念のため言っておくと、読んでいて苦しいから良くない、というのでは、まったくない。句集から受け取るものは、いろいろです。読者としては、だから楽しい、ということですね。

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