以前使っていたブログ「俳句的日常」を再開します。
≫http://tenki00.exblog.jp/
こことあそこ、記事内容というより気分でどちらかに書く予定です。
2009/12/14
2009/12/13
消息:勉強会レポートとアンケート集計
週刊俳句第138号に
●現俳協青年部勉強会「俳人とインターネット」のレポート・幸せになれるって保証も約束もないんですよね〔前篇〕(タイトル長い!)
●今年最も注目された俳人は? 『俳壇』2009年12月号を読む
…を書かせてもらってます。
●現俳協青年部勉強会「俳人とインターネット」のレポート・幸せになれるって保証も約束もないんですよね〔前篇〕(タイトル長い!)
●今年最も注目された俳人は? 『俳壇』2009年12月号を読む
…を書かせてもらってます。
2009/12/12
2009/12/11
東京タワー
東京タワーの1階にある大食堂が年内いっぱいで閉店するそうだ。
行かなくちゃ。
東京(といってもその西郊)に超してきておよそ35年になるが、東京タワーには行ったことがない。え!と吃驚されそうだが、案外、そういう人は多いのではないか。…多くないか。
ともかく、一度は行っておきたいので、今年中にぜひ出かけたい。
先般、墨田区をクルマで走っていたら、突然、どでかい建物が現れた。建造途中の新東京タワーだ。周辺は低い建物ばかりなので、かなり異様。まだ上には伸びておらず、塔の根元の比較的太い部分(それだけでも高い)なので、余計に異様。
ともかく、旧東京タワーに、出かけないと。
行かなくちゃ。
東京(といってもその西郊)に超してきておよそ35年になるが、東京タワーには行ったことがない。え!と吃驚されそうだが、案外、そういう人は多いのではないか。…多くないか。
ともかく、一度は行っておきたいので、今年中にぜひ出かけたい。
先般、墨田区をクルマで走っていたら、突然、どでかい建物が現れた。建造途中の新東京タワーだ。周辺は低い建物ばかりなので、かなり異様。まだ上には伸びておらず、塔の根元の比較的太い部分(それだけでも高い)なので、余計に異様。
ともかく、旧東京タワーに、出かけないと。
ユキオ短歌
≫石原ユキオはもうすこしモテていいと思う。:ねこの森に帰る
短歌をあまり読んだことがなく、とりたてて短歌に興味のない私にも、石原ユキオ氏の短歌はおもしろい。
短歌に専門化したほうがいいんじゃないの、などと無責任なことは言えないが、言ってみたくなる。
●
短歌をあまり読んだことがなく、とりたてて短歌に興味のない私にも、石原ユキオ氏の短歌はおもしろい。
短歌に専門化したほうがいいんじゃないの、などと無責任なことは言えないが、言ってみたくなる。
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2009/12/10
2009/12/09
2009/12/08
ツイスター?

よく聞いてみると、ツイッターでした。
あ、ツイッターか、と。
それなら、少し前に、とりあえず登録しました。でも、いまだに、ぜんぜんわかりません。使い方が。どう面白がればいいのかが…。そのうち誰かに教えてもらおう。
今のところ、リンクの参考にしています。これとか→http://twitter.com/torakare
リンクのない他人様の「御つぶやき」は、どう楽しめばいいのか。電車で隣に坐った人がひとりごとを言っている、それを聞いていると思えばいいかもしれません。
自分がツイッターに書き込むのも、もっぱらリンクです。http://twitter.com/saibaratenki つぶやけって言われても、ふだんから、むかしから、つぶやくクセなどないので、つぶやけません(このブログで、つぶやいているのか)。
でも、これからクリスマス・お正月にかけては、やっぱりツイスターでしょう。特に若者はツイッターなんてやってないで、ツイスターをやりなさい。
2009/12/07
協賛記事:リトル・フィート
週俳・第137号・haiku mp(今週の動画)はリトル・フィート。
ドラムのセカンドラインという箇所になぜか反応して↓
プロフェッサー・ロングヘアにはセカンドラインがたくさん出てきます。
信治さんの記事には、ニッポンとの絡みでサザン・オールスターズが出てきますが、その前か後か、鈴木茂のファーストソロ「バンドワゴン」(1975年)のバックアップにリトル・フィートのメンバーが多数入っていて、そこを聴くだけでも価値のあったアルバム。人から聞いた(あるいはラジオで聴いた)話ですが、アメリカ録音が決まり、バックをどうするかの話になって、「ザ・バンドは?」と鈴木茂が所望。ギャラが高くてぜんぜん無理。それでは、と、リトル・フィートほかのメンバーに決まったという。ザ・バンドが高いのはわかるが、リトル・フィートは安いのか!と当時びっくりした覚えがある。
ドラムのセカンドラインという箇所になぜか反応して↓
プロフェッサー・ロングヘアにはセカンドラインがたくさん出てきます。
信治さんの記事には、ニッポンとの絡みでサザン・オールスターズが出てきますが、その前か後か、鈴木茂のファーストソロ「バンドワゴン」(1975年)のバックアップにリトル・フィートのメンバーが多数入っていて、そこを聴くだけでも価値のあったアルバム。人から聞いた(あるいはラジオで聴いた)話ですが、アメリカ録音が決まり、バックをどうするかの話になって、「ザ・バンドは?」と鈴木茂が所望。ギャラが高くてぜんぜん無理。それでは、と、リトル・フィートほかのメンバーに決まったという。ザ・バンドが高いのはわかるが、リトル・フィートは安いのか!と当時びっくりした覚えがある。
2009/12/06
2009/12/04
アル・スチュワート爺
1970年代に現役だったミュージシャンが30年経って今、という動画がたくさん見つかる。30歳だった人は60歳に。
アル・スチュワート(1945年生まれ)も「おじいちゃん」になってしまった(↓↓↓)
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1977年(32歳)
アル・スチュワート(1945年生まれ)も「おじいちゃん」になってしまった(↓↓↓)
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1977年(32歳)
2009/12/03
googleの日本語入力ソフト
…いいみたいですね。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1345757.html
でも、ATOKに辞書登録した語が大量(特殊語のほか、定型挨拶文、メアド、URL等々)。それが、インポートできるんでしょうか。できるんなら、乗り換えます。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1345757.html
でも、ATOKに辞書登録した語が大量(特殊語のほか、定型挨拶文、メアド、URL等々)。それが、インポートできるんでしょうか。できるんなら、乗り換えます。
俳句教養講座
俳句教養講座・全3巻が刊行された。
http://www.kadokawagakugei.com/topics/special/haiku-kyouyou/
いくつか読みたい記事があります。例えば第三巻の「俳句の著作権問題」(筑紫磐井)。筑紫氏はかねがね俳句に著作権は「ない」という立場であり(一例:『俳句界』2009年2月号俳句界』座談会)、ここでどんな論述が展開されるのかには興味がわく。
といっても、読みたい記事は多くない。図書館に行くことにしましょう。
http://www.kadokawagakugei.com/topics/special/haiku-kyouyou/
いくつか読みたい記事があります。例えば第三巻の「俳句の著作権問題」(筑紫磐井)。筑紫氏はかねがね俳句に著作権は「ない」という立場であり(一例:『俳句界』2009年2月号俳句界』座談会)、ここでどんな論述が展開されるのかには興味がわく。
といっても、読みたい記事は多くない。図書館に行くことにしましょう。
2009/12/02
事業仕分けと科学者
事業仕分け結果に、ノーベル賞受賞者らが批判声明(11月25日)。
それに反応して、kikulogのログ(進行中)
▼
科学への投資を誰に理解してもらいたいのか 2009/11/27
若手研究者支援 2009/11/28
運営費交付金 2009/11/29
東大物理のアピール 2009/11/30
中村桂子さんの意見 2009/12/1
要は、「科学は大事なんだから、カネ寄こせ」だけじゃあダメなんじゃないの?という話。
それに反応して、kikulogのログ(進行中)
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科学への投資を誰に理解してもらいたいのか 2009/11/27
若手研究者支援 2009/11/28
運営費交付金 2009/11/29
東大物理のアピール 2009/11/30
中村桂子さんの意見 2009/12/1
要は、「科学は大事なんだから、カネ寄こせ」だけじゃあダメなんじゃないの?という話。
フォークソング嫌い
フォーク・ソング:Rocket Garden~露結の庭~孫引きになるが、「殺意に近い憎しみ」を感じながら、「努力してFM放送なんかを繰り返し聴くことがあるのですよ。井上陽水、岡林信康、その他高名なフォーク・シンガーのを。」という塚本邦雄は、ヘンな人だなあ、と思う。「くだらない」のひとことで済ませられるのに、努力して繰り返し聴くわけだから。
http://yamadarockets.blog81.fc2.com/blog-entry-286.html
私は世代的に「フォーク・ソング」を他人事では済ませられない立場にある。複雑な気分。
中学生のときの深夜ラジオ(1970年前後という大昔ですね)には、このフォーク・ソングがやたら流れていて、夜中3時を過ぎると、宵っ張りの学生もさすがにもう眠るということで、突然、トラック運転手をコア・ターゲットにした演歌番組が始まるというプログラム。
そんなだから、ある種のフォーク・ソングを好んで聴いていた時期が、短期間とはいえ、ある。白状したくないけれど、たしかにある。けれども、フォーク・ソング全般がどうかといえば、はっきりと苦手。ただし、塚本邦雄のように「言語感覚の貧しさ」がその理由ではない。理由は「音楽感覚の貧しさ」である。
音楽としての退屈、気恥ずかしくなる生硬さ、お手軽さ、そうした貧しさが詰まっている。これはフォークソング出自の「ニュー・ミュージック(新・歌謡曲)も同様。
(ちなみに、音楽を聴くときに、「言語感覚」を取り沙汰する気があまりない。音を邪魔しない程度の言語でいい、というくらい。フォーク・ソングの多くが、言葉の貧しさが、音の貧しさに輪をかけてしまうということはあるにしても)
そんなわけで「くだらない」と無視していればいい音楽ジャンルなのだが、しかし、ところが、最近になって、十代の頃、あれほど嫌いだったガロというグループの曲を聴き、たしかに「言語感覚」は語るまでもなく最貧で、「音楽感覚」も豊かとはいえないけれど、こういうのもアリに聞こえたりして、困っている。
フォーク・ソングの貧しさから解放されるわけではなく、とても複雑な気分なのだ。
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