2023/12/23

■泣茸 『閏』第18号より

泣茸も在るべし笑茸在れば  守屋明俊

『閏』第18号(2023年12月1日)より。

《在るべし》は、推量(在るんだろうなあ)か命令(在れよ)か、迷うところ。

ふたつを混ぜて(そんなこと、許されるのかどうか知らないが)、「在るんだよな」と解したいところ。

泣茸も在るんだよな? 笑茸があるんだから。

ところで、ワライタケの Wikipedia には「(…)採取したキノコを汁に入れて食べたところ、妻が裸で踊るやら、三味線を弾きだしたやら」など、ファンキーな解説。

掲句は、実在のワライタケから、(おそらく)実在はしない泣茸に思いを馳せた軽妙な句と読めるいっぽう、しんみりと、つまり、泣きたいことがあるのに泣けない状況を詠んだとも読め、ここもまた迷うところ。きっと、違うときに読めば、印象が変わりそう。



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