結婚披露宴のテーブルに坐っていて、まず考えるのは、出てくる料理がなるべく美味しいように、との願い。結婚というものはたしかにめでたいものなのだろう。披露されたら、おめでとう、である。だが、それ以上に、何かの感慨があったりするのは稀なケースで、促されれば拍手する、皿が出てくれば食べる、そうして式次第が進行するのを見、終わるのを待つ。
空中に新郎新婦皿に牡蠣 北大路翼
『新撰21』(邑書林2009)より。
結婚式が儀礼だった昔はともかく、20世紀終わりから21世紀の、それも都市部の結婚式は、しばしば、素っ頓狂で、キッチュな味わいさえあるらしい。空中のゴンドラに新郎新婦。本人たちがそうしたかったのか、サービス精神なのかは不明。
演出が田舎者まるだしのわりには、料理に牡蠣なんて、ちょっと洒落ているとは言える(貧相な伊勢海老が相場だろう)。
人の結婚を笑うのは不謹慎なのだろうか。そんなことはない。笑わなければ、二人の立つ瀬がない。
こんな句も思い出した。
全身のレースの穴の花嫁よ 松葉久美子
こちらのまなざしのほうが、ずっと残酷で、攻撃力が高い。
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