2013/08/21

■「冷蔵庫」句

むかしは氷を入れて使っていた冷蔵庫も、電気となっては、いわゆる「季感」は薄い(余談ですが、俳人さんはなぜか「季節感」と言わず「「季感」と言います。微妙な違いがあるのでしょうか。よくわかりません)。「冷蔵庫」は夏の季語ということになっていますが、まあ、そのへんはどうでもよろしい。季語がほしい読者は、他に季語が見当たらなければ「冷蔵庫」が季語と思えばいい、というくらいの話。

  冷蔵庫に入らうとする赤ん坊  阿部青鞋

  真白な大きな電気冷蔵庫  波多野爽波(1941年)

冷蔵庫の句は、このあたりから始まると見ていいのか。前者の「むむむ」感は尋常ではなく、後者の脱力は特筆に値する。 爽波はどうでもいいような句を山ほど作り、そのなかからいくつかの「素晴らしい〔どうでもよさ〕」が生まれた。

  元日の開くと灯る冷蔵庫  池田澄子

  冷蔵庫しめてプリンを揺らしけり  雪我狂流

電気冷蔵庫に欠かせない「開閉」の行為は、この2句でほとんどの可能性がカバーできている。

ここでちょっと趣を変えて、景としての美しさという点で、次の句が出色だ。

  遠浅にしばらく刺さる冷蔵庫  振り子『月天』(2003年)

どんな批評・鑑賞もムダグチになってしまうような句こそが、最大の快楽を生み出す。口ぽかーんと、この句を眺めている以外に為すべきことがない。

「冷蔵庫」の句は、個人的にひじょうに気になるので、このように自分の中の「冷蔵庫」句を並べて考えてみるわけですが、最近、また新たに見つけました。

  誰もゐぬ客間をとほり冷蔵庫  中嶋憲武 『蒐』第12号(2013年7月28日)

  もう寝やう凭れて熱き冷蔵庫  野口る理 スピカ(2013年8月1日)

どちらも、とてもいいですね。

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