2018/04/19

■俳句世間のルサンチマン

ルサンチマンがきらいなのは性分と言ったけれど、もうすこし説明すると、それは、ルサンチマンを抱いた人は、他人を幸せにしないから、幸せにする気もないから。

私はやっぱり、他人のことを考える人が好きだし、自分は、他人のことを考えていたい(不充分で失敗ばかりにしても)。

ルサンチマンの人は、自分が権力を行使する側にいないことを嘆く。世の中の不公正やら不正義を嘆くのではない。だから、ひょんなことから権力を行使する側に立つと(集団の単位を変えれば、容易にそんなことが起きる)、とたんに無慈悲・非道になる。

彼は、みずからの不遇を嘆く。自分はもっと評価されるべきだと怒る。その打開策として、他人を評価しない。貶める。彼にとっての価値は相対的でしかなく(他人との比較でしかなく)、確たる基準はない。下世話に言えば、自分よりも評価が高い(と感じた)他人を、虱潰しに批判していく。

彼は、従う側にいることを嘆き、怒る。従わなければいいだけなのに、なぜか。それは、従わせる側にいたいから。従属関係を否定するのではなく、従属関係が実はとても好きなのだ。

さて、彼の思う世界・世間(規模がさまざまな社会集団)が彼の思うとおりになったとしよう。そのとき、彼は幸せかもしれないが、「みんな」はきっと幸せではない。ルサンチマンは「自分」が基準で、「みんな」が基準じゃないから。



俳句世間(俳句作者、俳句読者、俳句業者etcが成員)にも、ルサンチマンの人たちがいる。「自分はもっと評価されていい」という恨みが、彼のなかに蓄積していく。

俳句世間はとても狭く、評価なんてきわめて曖昧。エスタブリッシュメントも、あるのか、ないのか、よくわからない。それでも、ルサンチマンを発散させる人たちがいる。

「主流」(あくまで彼の思うところの主流)を仮想敵にして、言論・批評を展開。自分の「舌鋒の鋭さ」に酔いながら、自分に向けられた過小評価を恨む。それらがループになって、ますますルサンチマンを深めていく。

敵も味方もないし、戦いもないのにね。

ラヴ&ピース!

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