2013/10/10

■釘の続き

八田木枯さんの《釘と月光》について書いたのだけれど、

http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html

これ↓

  春の夜に釘たつぷりとこぼしけり  山田耕司(句集『大風呂敷』)

釘と月光、春の夜の釘は、趣向が違う。木枯さんの2句はやや比喩に重心がかかる(比喩と言い切れないところが魅力なのだが)、山田耕司さんの句は、ブツとコトで、質感を醸成する。

いずれも生き生きとしている。

かつて榮猿丸さんが「リアリティよりもアクチュアリティ」と言っていた。実に実に。

俳句はリアルである必要はないが、アクチュアルであってはほしい。

比喩や見立ては、よしんば成功してもそれだけでは賞味期限は短い。句会のその場で「うまいこと言うなあ」の賞賛で終わりがち。一方、ブツとコトを提示するだけでは、作者事情で終わりがち(読者にとっては、「そんなものを見たんですね、そんなことがあったんですね」で終わる)。

何がどうなれば、アクチュアルな句(それはまさしく賞味期限の長い句)になるかは難しいところですが、そこにある「調べ」、それが醸し出す「質感」というのが、ひとつ、ポイントになるのではないか、と。そして、その2つはもちんのこと無関係ではない。

さらにいえば、俳句は、モノの質感だけなく、時間の質感であったりもする。そこがおもしろいところであります。


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