≫承前
ルビの話のつづき。
読みが複数ある漢字/熟語の場合、どちらかわかるようにルビを振るということがあります。例えば、八田木枯『鏡騒』では、「ばくりゅうしゅ」と読まれたくないからだろう、麦粒腫には「ものもらひ」とルビが振ってあった。
(同じ句集で、音数から行くとおそらく「ひともじ」と読むんだろうなあ、という「葱」にはルビがなかった。パズルみたい。これは不親切だけれど、なんらかのこだわりがあったのかもしれません。そこにルビ振るのは野暮だろう、みたいな)
一方、ルビがないのは、読み方はこちら(読者)に任されていると受け取って、こちらの愉しみにできないことはない。
糸瓜棚暑くなる日の雲の形 安里琉太『式日』
この句の座五。
《形》を、私は「なり」と読んだ。
5音を守るなら「くものかたち」ではないはずで、「くものかた」は熟れない。
あ、これ、どう読むのが正しいとか、そういう話じゃないですよ。私は、こう読んだという話。
あるいは、作者がどう読ませたいのか、というのでもない。読者の領分として愉しむ。
まあ、そう考えれば、読み方・読ませ方を《確定》させるためのルビは必要ないのかもしれません。どうぞ、お好きに、というわけで。
ラヴ&ピース!
0 件のコメント:
コメントを投稿