ゴミ屋敷春宵ふかく灯しをり 嵯峨根鈴子
庭先から門扉をはみださんばかりにガラクタやゴミのうずたかい家は、テレビの興味本位の映像で知っているだけかもしれず、実際に見たことはない気がする。
(家屋全体を新聞紙と呪詛で覆った、いわゆるデンパ系の家は、散歩の途中に行き当たったことがある。こわいのなんおって、そりゃあ、もう怨念の圧を感じましたよ)
さて、掲句。
「ふかく」は、ゴミの山の奥深くということだろう(時間的な深浅ともとれるが)。玄関のそのむこうに電灯がともる。昼間は、人が住んでいるのか空き家なのかわからないが、夜になって、灯がともり、ああ、住んでるのだなあ、と。
季節は春で、このゴミはまだこれから殖えるかんじもあるし、蘖を内包しているようでもあるし、虫が蠢いている(啓蟄)ようでもある(ぎゃっ)。やはり、これは、春。でないといけないのだろう。
『儒艮』第31号(2020年4月10日)より。
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