オーロラの家たくさんの鍵を持つ 小野裕三
「持つ」の効果だろうか、この家、開放的な感じがする。寒冷地で開放的なはずはないが、イメージ、ね。
開ける鍵(比喩としての鍵)がたくさんあって、内部/秘密へと到達可能。
「オーロラの家」という省略の効いた語句のロマンチックな印象も相俟って。
掲句は『俳句新空間』第8号(2017年12月10日)内の企画「世界名勝俳句選集」より。
2017/12/18
2017/12/16
■冒頭集:チェスタトン
《昇る太陽》という名のその宿屋は、「沈みゆく太陽」といったほうがしっくり似合う外観をしていた。この宿屋は、狭い三角形の庭に立っていたが、庭は緑色よりも灰色が強く、崩れ落ちた生垣が、メランコリックな河芦とまじりあい、屋根も腰掛もともに潰れた暗く湿っぽい四阿があり、薄汚れた、水の出ない泉のほとりには、雨風に色あせた水の精の像が立っていた。G・K・チェスタトン『詩人と狂人達』(福田恆存訳/国書刊行会/1976年)
なんだかこなれない翻訳(ビッグネームなのに!)。だけど、情景描写が終わって物語が動き出すと、すんなり話に入っていけますよー、みなさん。
ラヴ&ピース!
2017/12/15
■12月のくにたち句会のお知らせ
●2017年12月30日(土)14:00 JR国立駅改札付近集合
●句会場所:ロージナ茶房(予定)。
●席題10題程度
最後の日曜日が恒例ですが、今月は変則です。
初参加の方は、メール(tenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。
●句会場所:ロージナ茶房(予定)。
●席題10題程度
最後の日曜日が恒例ですが、今月は変則です。
初参加の方は、メール(tenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。
2017/12/14
2017/12/12
■わかったふうな選評・鑑賞が行き交う句会、じつは不毛
昨日の記事は、あながち冗談ではなくて、本気。
「わかったふうに選評する・鑑賞する」という行為は句会レベルから俳人・俳句愛好者に浸透しています。句会だからそれでいいのですが、なんだかなあ、といった事態も招きます。
ある句会で、ある句を採らなかった理由を訊ねられて、「おもしろいと思ったのですが、選評をもとめられたら、うまく言えそうになかったので」と答えた人がいました。これ、一度ならず遭遇しています。
採った理由がうまく言えないから採らない? はぁ? なんじゃそりゃ。
これはもう、本末転倒も甚だしいのですが、異常行動と解されているフシはない。
かくして、ある人々のあいだでは(けっして少なくない人々のあいだでは)、わからない句、どこがおもしろいのか説明しにくい句は、「選」から外され、わかる句、いいところ・気に入った理由が説明しやすい句が選ばれることになる。
選評は、句によっては「好き」のひとことでいいと、本気で思っています。あるいは「ヘン」のひとこと。
ある句に魅力を感じたとき、まずはパクリとゴクリとその句をからだに入れて、快楽することが第一で、同時にほぼすべて。
だから、うまく選評を言おうなんて考える必要はまったくないのですよ。
(わかる句・いいところを指摘しやすい句で、魅力的な句もあります。為念)
なお、選句は、あたりまえですが選がほぼすべて。どんな句を選ぶかが大事。
●
いろいろわかったふうな解釈・鑑賞が行き交う句会が「良い句会」とされる向きがありますが、経験上、選評や鑑賞の長い句会は、クリシェをえんえんと繰り返す人がいる句会です。「わかる句」の称揚のしかたについては、プロトコルがもう出来上がっていて(その手のプロトコルは簡単に身につきます)、句会経験の多い中堅・ベテランの多くはそれに乗っかって滔々と話す。これ、じつはぜんぜん生産的ではないです。初心者には有益と思うかもしれませんが、俳句世間の慣習を覚えるにすぎず、クリシェの積み重ねを鑑賞・批評と思い込まされるにすぎません。。
(批評は批評で真剣に取り組めばいいです。悩んだり葛藤しつつ。草の根批評運動は不要。カジュアルに、批評ごっこ=クリシェの合成物を繰り返しても無為。鑑賞の「類想」が量産されるに過ぎません)
●
そこで、これです。
≫http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/12/blog-post_10.html
わかる、うまく説明できる。それって、たいして重要じゃないです。
Don't think. Feel !
「わかる・わからない」についてはもうすこしダラダラ続きます。きっと。
「わかったふうに選評する・鑑賞する」という行為は句会レベルから俳人・俳句愛好者に浸透しています。句会だからそれでいいのですが、なんだかなあ、といった事態も招きます。
ある句会で、ある句を採らなかった理由を訊ねられて、「おもしろいと思ったのですが、選評をもとめられたら、うまく言えそうになかったので」と答えた人がいました。これ、一度ならず遭遇しています。
採った理由がうまく言えないから採らない? はぁ? なんじゃそりゃ。
これはもう、本末転倒も甚だしいのですが、異常行動と解されているフシはない。
かくして、ある人々のあいだでは(けっして少なくない人々のあいだでは)、わからない句、どこがおもしろいのか説明しにくい句は、「選」から外され、わかる句、いいところ・気に入った理由が説明しやすい句が選ばれることになる。
選評は、句によっては「好き」のひとことでいいと、本気で思っています。あるいは「ヘン」のひとこと。
ある句に魅力を感じたとき、まずはパクリとゴクリとその句をからだに入れて、快楽することが第一で、同時にほぼすべて。
だから、うまく選評を言おうなんて考える必要はまったくないのですよ。
(わかる句・いいところを指摘しやすい句で、魅力的な句もあります。為念)
なお、選句は、あたりまえですが選がほぼすべて。どんな句を選ぶかが大事。
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いろいろわかったふうな解釈・鑑賞が行き交う句会が「良い句会」とされる向きがありますが、経験上、選評や鑑賞の長い句会は、クリシェをえんえんと繰り返す人がいる句会です。「わかる句」の称揚のしかたについては、プロトコルがもう出来上がっていて(その手のプロトコルは簡単に身につきます)、句会経験の多い中堅・ベテランの多くはそれに乗っかって滔々と話す。これ、じつはぜんぜん生産的ではないです。初心者には有益と思うかもしれませんが、俳句世間の慣習を覚えるにすぎず、クリシェの積み重ねを鑑賞・批評と思い込まされるにすぎません。。
(批評は批評で真剣に取り組めばいいです。悩んだり葛藤しつつ。草の根批評運動は不要。カジュアルに、批評ごっこ=クリシェの合成物を繰り返しても無為。鑑賞の「類想」が量産されるに過ぎません)
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そこで、これです。
≫http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/12/blog-post_10.html
わかる、うまく説明できる。それって、たいして重要じゃないです。
Don't think. Feel !
「わかる・わからない」についてはもうすこしダラダラ続きます。きっと。
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