このあいだの句会のはじめ、みんなで席題を出し合うときに、「そういえば、みやもとかよのさんは本日、引越しだとか」と誰かが口にしたことから、「宮」というお題が出て、ついでだから、
宮本がカンナの如く立つてをり 10key
と投句。
人に知られた人名を詠み込む(それが人名句)でもないので、名前だけ放り出した格好で、「それ、誰やねん?」ということになり、なかなかうまく行かない。
いのうえの気配なくなり猫の恋 岡村知昭(『俳コレ』収録)
この句が、この手ではよく知られる句だが(って、ほんとか?)、この句のおもしろさを伝えるのは、なかなか難しい。難しいのだが、おもしろさの出発点に「それ、誰やねん?」という《わけのわからなさ》があることは確実。
おそらく、俳句の17音のうち、誰だかわからない人名に4音も使ってしまうという贅沢(ムダとも言う)を許す状況をつくりだすのは、なかなかに骨を折れることなのかもしれない。
じゃあ、短歌はどうなんだ?ということで。
百点を取りしマサルは答案の束もつ我にひたすら祈る 小早川忠義
人名が、俳句と比べると、自然に溶け込む感じ。
小早川忠義さんの歌集『シンデレラボーイなんかじゃない』(2010年9月/邑書林)には、この手の人名が他にいくつかある。
《「目立たない方の鈴木」と呼ばれゐる同窓会の常任幹事》は、機知がわかるぶん、突拍子のなさは消える。むしろ、
書き慣れぬ振込用紙の名前欄「若草太郎」と書き損じたり 同
このほうが、不思議さが残る。
振込用紙になんと書こうとしたんだろう? 答えがわかると、魔法が解けたりして(それはよくあること)。
短歌はあまり読んでいないし、知識もまったくないのですが、出会った本をおもしろく読ませてもらっています。俳句と違って、いわゆる「純粋読者」になれるから、でしょうか。楽しいのですよ。
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