2013/07/01

■(笑)という編集処理

座談のこのくだり。

上田信治「時評というもの 筑紫磐井『21世紀俳句時評』をめぐって」(週刊俳句・第323号)にも取り上げられています。

(笑)という箇所がキモのようで、これがあるからこそ、ここが「燦然と輝いて」(上田信治)見える。

これがただ「この方は「これから俳人」という感じですね」だけなら、そのまま受け流す箇所でしょう。あるいは、「この方は「これから(が期待される)俳人」という感じですね」と、省略を補って読むことも、(前後の文脈をある程度無視すれば)できなくはないのですが、(笑)があると、そうは読めない。


ところで、この(笑)、対談記事、座談記事にはお馴染みで、そうとうに古くからごくごく一般的に用いられる。これがないとニュアンスが間違って伝わることもあり、なくてはならない編集処理ともいえる。どんな表情でセリフを吐いたか等、文字だけではどうしても伝わり切らないので。

例えば、過去、週俳に掲載された「『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会(3)」には、(笑)が19回登場します。
あらかじめ相談の余地を作っておいたわけです。相談の余地があるということは、編集部の介入する余地もあるということで(笑)、場合によっては若干の相談や調整があった、というかんじです。
 この(笑)は、「介入」の語のもつ機微を支えているわけで、ここに(笑)が入らないと、ちょっと感じの悪いセリフ、すごいことを言っていることになってしまう(なくても、雰囲気を察し理解してくれる読者はいますが)。

どの(笑)にもすべて機能があるとはいいませんが(それほど必要ではなく手が滑って(笑)を入れてしまうこともある)、わりあい大事な道具なのですね。


そこで、はじめの(笑)ですが、この一発で、発話者の、さらにいえばその場に蔓延する「したり顔」のようなものが如実に伝わる結果になってしまった(全体の流れとは無関係に、というのが怖ろしいところです)。

ああいう場(俳句総合誌!の合評!)では、どうしても「したり顔」が出やすい状況でしょうけれど、これは他人事ではない。他人の句を評するとき、誰もが陥りやすい。 自戒を込めて、というやつです。


なお、インターネットのコメントでも、(笑)というのをよく見かけます。掲示板ではお年寄りほど、これをよく使うという傾向が見えたものですから、wwwなども使ってみたりしますが、これはこれで難しい。雑誌の縦組では使えませんし。

それでは、と、

  この方は「これから俳人」という感じですね(*^▽^*)

顔文字を使ってみると、愛嬌があっていいのですが、縦組ではやはり無理です。


というわけで、これからも雑誌記事から(笑)がなくなることはなさそうです。


(つづく)


【余談】
合評、そして上田信治さんの記事にある、

  白梅と思ふ拙き木と思ふ  生駒大祐

からは、どうしても、

  咲くまでの梅を不思議な木と思ふ  正木浩一

を思い出す。だから、悪い(類想とか)というのではまったくなく。

見ようとしているものが違うかもしれないが(あるいは近いかもしれない)、視線のありように共通したものを感じる。

個人的には、「拙き」よりも「不思議な」を採るし、調べも後者がメロー感やビート感で優ると思う。(いや、ここはやはり「思ふ」でしょう? という茶々、許す)

2 件のコメント:

ゐこまだゐすけ さんのコメント...

咲くまでの梅を不思議な木と思ふ  正木浩一

意識していたわけではないですが、深層では覚えていたのかもしれません。とても良い句ですね。

10 key さんのコメント...

意識したら、別の設えになるだろうから、意識したとは思いませんでしたよ。

「咲くまでの~」句は、梅の木との対し方がピュアですよね。この人の句に共通するのですが、そこが泣かせるところ。

不純は不純でステキなのですが、「ピュアを装った不純」「ピュアを気取った不純」が、このところの俳句世間に多いような気がします。