2017/07/06

■す~ゔに~るのかいも~の

切手、売ってるんですよ。郵政博物館。

承前≫

紫陽花は来年の6月用です。25円、15円は7円との組み合わせで62円、82円ぴったりにもできて、重宝。余らせてもいいのですが(65円分とかネ)、ぴったりもまた気持ちがよろしいのです。


2017/07/05

■某日、郵政博物館

東京スカイツリーは水族館がよく知られるところですが、郵政博物館がなかなかシブい。小ぢんまりで足が疲れない。人が少なくゆっくり楽しめる。

日本と世界の切手を年代別に整理。見やすい収納・展示。

その数膨大で、何日通っても見きれないであろうほど。

前島密ひとり。切手の肖像と似ていない。

2017/07/04

■曇り方のいろいろ

空蟬の古椅子ほどの曇りやう  青本瑞季

いい距離感の意表が2段階(空蟬→古椅子→曇)。

曇りようはいろいろで、それは程度ということでなくて、さまざまな様態に曇る。

マフラーの巻き方森の曇り方  笠井亞子〔*〕


掲句は青本瑞季「無言でゐる」10句より。
http://kangempai.jp/seinenbu/haiku/2017/07aomoto.html

〔*〕笠井亞子『東京猫柳』(西田書店2008年4月)

2017/07/02

■選者/読者


ひとまず、答えがほぼ出てしまったわけですが。



例えば、句会。俳人諸氏にとって日常的な句会における「選」が、句と自分(読者/選者)の関係のかなりの部分を決めてしまっている側面が、たしかにあります。

でもね、「選者」である前に「読者」でありたいと、やはり願うわけです。「わかる」愉楽、「わからない」愉楽、双方を全身で浴びようとする享楽的読者。

句会は、いや、句会に限らず、俳句を読む、ということにおいては、人(作者)との関係よりも先に、まず、句(作品)との関係があるわけで、ならば、いわゆる「上から目線」、昨今の流行語で言えば「マウンティング」など、みずからのポジションにこだわる/すがる必要はない。

なお、居丈高な「わからない」アピールは、句会よりむしろ何かの賞の選考会のほうが、確率よく見物できます。ま、これは、選者>読者、な態度が求められているので、当然。

しかしながら、信用の置ける選、魅力的な選とは、「しっかりと読者」な人の選である。そう信じております。

2017/07/01

■なぜ俳句世間には鼻たかだかに「わからない」とおっしゃる方が多いのだろう

「わかりません」

これ、おずおずと言ったものです。こどものとき、教室とかでね。

ところが、俳句をやっていると、なんだか居丈高に「わからない」と。そういう場面に少なからず遭遇する。

鼻たかだかに、わからないことがエラいみたいに、私にわかってもらえないような句はダメ、とばかりに。

(短歌や川柳はどうなんでしょう? 句会とか批評文で)


ある一句、あるいは句群、あるにはある作家の作品全体、それらにまつわる「わからない」は、かなり複雑。

また、いろいろと考えたり整理したりしようと思います。


(田島健一さんがしばしば、「わかる」「わからない」問題について書いていますね)