2020/05/08

■硬度

表紙が良くなった『オルガン』第21号(2020年5月5日)。


結晶になるまばたきの多い雉  田島健一

硬質が句のアタマからケツまでを貫いて、気持ちいい。

ラヴ&ピース!

2020/05/07

■流れる

音楽が流れる。ここに「流れる」という動詞が用いられることに、ふと気が行ってしまって、ふうん、という気持ちが続いている。べつに不思議なことではないのでしょうが、ああ、流れる、か、と。

英語でも flow は使われるみたいだし、《音》は《流れる》ものなんですね。鳴ったり、響いたりだけじゃなくて。

そういえば、動画も、流れる、流しておく、という言い方をする。

≫前記事■動画

《流氷》はそれこそ流れるものだし、《バター》も溶けて流れ出す。どちらの句も、動画の内容に、ある程度の必然があるわけだ。

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ところで、以前、友人が、あるサンバかなにかについて、その音(曲調・サウンド)を、水の流れの表面で光がきらきらと跳ねるとかなんとか表現していて、とてもしっくりしたのですが、音の流れの中になんらかの粒立ちを感じる音というのは確かに合って、ここまで来ると、前に触れた句の話から離れてしまうのですが、大昔、映画『イージーライダー』の挿入歌。川の流れの中に光の粒をはっきりと感じたことを思い出しましたよ。



ストリングスが水の流れ、生ギターのリズミカルなアルペジオが光の粒。この曲は、十代の私にとって、ほんと強烈で大きな体験だったなあ、と。それがその後に生かされたかというと、んんん、悲しくなるんだけどね。

ラヴ&ピース!

2020/05/06

■動画

通勤快速バターが溶けてゆく動画  八上桐子〔*1〕

朝という、意味の括り、あくまで緩い括り。そこに併置される電車とバター。

意味とは別に速度感のようなものを、主に前者が後者に作用する。

それよりも間接性が、なんだか近代、というか現代なのだろうか。すなわち、通勤という目的をサービス側が供して、駅を飛ばし飛ばしに運行するという、付加・修飾をまとった電車の間接性だとか、バターの描写ではなく、その動画という間接性だとか。

ところで、動画といえば、

流氷動画わたしの言葉ではないの  田島健一〔*2〕

を思い出すわけですが、こちらも、間接性が鍵的なような気がします。とりわけ後半は、言葉という間接から。さらに否定によって間接化される。

違いは構造か。

桐子句が併置、譬えるなら二分割画面であるに対して、流氷という具体と言葉にまつわる抽象・観念が、線的につながるかんじ。譬えるなら、カットインあるいはフェードイン。


〔*1〕『川柳ねじまき』#6(2020年1月)より。
〔*2〕田島健一『ただならぬぽ』2017年1月/ふらんす堂

2020/05/03

■《ページ数》祭り

フェースブックに【7日間ブックカバーチャレンジ】というイベントがございまして(新コロナ巣籠りの流れ)、知人から指令(おめえもやれ)があり参加いたしました。

7日間・7冊の本のカバー(外観)をアップロードしていくということなんですが、ただ7冊と言われても困ってしまいますので、ページ数が多い本・分厚い本というテーマを自分で勝手に設けました。ただし、辞書・事典、二巻本(複数刊)、地図、資料的刊行物などは除きました。

時間はたっぷりある、電車じゃないので分厚くて重くても支障ないでしょう、ということで。

フェースブックには1点ずつの写真しか載りませんし、厚さは伝わらないので、記念撮影的に、ここに。

(8冊ありますが、うち1冊は次点的)


2020/05/01

■自転車に乗って♪

自転車でからだ動かすわけですが(ごめんなさい、不要不急です)、街なかよりも多摩川土手のほうが人が多い。

反省。もう土手には行きません。

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なお、かつてないほど一家団欒している家族も多い模様。

あとね、多摩川は、昭島あたりでちょっと変わる。ガキンチョが裸で水遊びしてた。川崎~立川には、ない景色。