承前≫「超結社」の終焉
豆の木賞の結果が出て以降、掲示板が盛り上がっている。
≫http://6918.teacup.com/mamenoki/bbs
盛り上がりに貢献しているのは、詠犬さんこと中嶋憲武さんの一連の書き込みです。簡単にいえば、今回の受賞作が「つまらない」「こんなんでいいのか?」という異議。
え? どんな20句なんだ? と、受賞作の太田うさぎさん「cloudy」への関心が高まるが、受賞作が発表されるのは来春の『豆の木』誌。現時点で読んだのは豆の木賞の参加者のみ。クローズド。なおかつ受賞作公表まで半年も気を持たせる。これはなかなか良い演出。
私も読んでいない。だから、憲武さんの意見・感想について、何かを言うことはできない。考えてみれば、この掲示板の成り行きは、受賞作を読んでいる豆の木メンバーにしかわからないわけです。にもかかわらず、部外者の私が何を言おうというんだ?
ですから、受賞作の如何は横に置いて、の話です。
憲武さんの書き込みで2点、気になることがあるので、それを書きます。
その1。これは細かいこと(ですが、だいじなこと)です。
こういう作品が賞を取ると、やんごとないお方に「(超結社では)せっかく育てられて来たものを薄め合う結果に終ることが多いのではないかと思っています。もちろん、うまく使い分けている人もいましょうが」と言われる結果につながるのではないかと危惧しております。
http://6918.teacup.com/mamenoki/bbs/2384
「やんごとないお方」などというボヤカし方・あてこすり方は、 言論として、卑しい。こういうのはやっちゃダメです。
直後に四童さんが補記しているように、これは週刊俳句の記事からの引用。「小澤實が」と、きちんと発言者を明記、出所があるんだから、そのURLも添えるべきなのです。
≫http://weekly-haiku.blogspot.tw/2014/09/blog-post_56.html
これからは気をつけてネ。
その2。 これは微妙な問題です。
憲武さんは受賞作について、次のように言います。
(…)奇麗で気持ちよいのは確かに大事ですけど、問題なのはそこに生活感というか日常生活のリアルというか、作者の顔というか、そういったものが見えて来ない事です。
http://6918.teacup.com/mamenoki/bbs/2394
生活感、日常生活のリアル、作者の顔。憲武さんはそれらが見たいというわけです。それが見えてこないから、受賞作は不満であると。
これは憲武さんの考え方(さらに言えば俳句へのスタンス)ですから、それに文句を言うつもりはないのです。
でも、これって、紋切り型ですよね。
生活感、日常生活のリアル、作者の顔。
いろんなところで何度も聞いたことがあります。
おまけにセットになってる感。
これらを重視する人たちが分厚く存在することは知っています。けれども、受賞作は、彼らが望むようなかたちで「生活感、日常生活のリアル、作者の顔」を見せようとした作品なのでしょうか。もしそうなら失敗しているから「問題」ということにもなりましょうが、はなからそんなものをめざしていないとしたら、問題でもなんでもない。
ちなみに、私は、シンプルな意味で「生活感」や「日常生活のリアル」などを見せられても(いわゆる暮らしの報告だとか、内面の告白だとか、魂の叫びだとか)、「ふ~ん」としか言いようがない。その脈絡から見える「作者の顔」なんて、どうせ他人と見分けがつかないような「顔」だろうと思っています。
「これが私の顔だ。よく見ろ」って言ってる句に限って、「なるほど。どこにでもあって、見飽きた顔だから、もう、いいです。どこかにしまってください」 ってことになるのですよ、経験上。
この「作者の顔が見えない」「生活感・リアルさが感じられない」といった、型に嵌りきった評言、どうにかなりませんかねえ。古く「人間探求派」まで遡る病である、なんて大げさなことは思いませんが、ひょっとしたら、「その系統」というものがあるのかもしれません。
とはいえ、この「生活感、日常生活のリアル、作者の顔」については、憲武さんと私とで、好みやスタンス、考え方(俳句観!)の違いというだけです。つまるところは。
でも「生活感、日常生活のリアル、作者の顔」が見えないのは「問題」である、「生活感、日常生活のリアル、作者の顔」が見えるべきであるといった規範を、勝手に作り上げられるのは困りものです。
もうちょい微妙で繊細な問題だと思いますしね、リアルとか、作者の顔という問題は。
俳句のあるべき姿についての紋切り型は、言い回しだけでなく、考え方の紋切り型でもなるのではないかと、自分を疑ってみることも必要なんじゃないか、ということです。
感じたのは、この2点。
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豆の木賞について、知っている範囲で説明しておきましょう(私は計6回参加)。
20句作品を互選で選ぶ。選は6点持ち点制というところがルールとして秀逸。全作品について選評を書くのが大変。
「1句出し」ならぬ「1作品出し」の句会なのだ、と私は解しています。
句会だから、最高点句(受賞作)が決まったら、異議を唱える、採らざるの弁を述べる、というのは当然のことです(句会では高点句ほど貶されたりしますよね)。
だから掲示板での憲武さんの態度は、当然あっていい態度です。ただ、そのコメントについて、2点ほど、あれれ?なところがあった。それをここで、部外者の私があえて書かせてもらったわけです。
その2点を最後に繰り返しておきます。
1 個人名はきちんと明記する。
2 自分のなかの「紋切り型」について、ちょっと考えてみる。
こちらからは、以上です。
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