でも、もしかしたら、それは統計的でも経験的でもなく、有名な一例のせいかもしれません。
と、それはそれとして。
何年も売つてゐる靴昼の虫 満田春日〔*〕
町の靴屋、店頭にはサンダルなんかも吊るしたカジュアルな靴屋には、たしかに同じ靴が何年ももあいだ売れずに置かれっぱなしになっていそうです。いや、確実に、そういう靴、そういう店がありますね。
「あるある」は、俳句においては賛辞ではなく否定的な感想になってしまうようですが、そうではなくて、たしかに、ある。それが句になっていて、何の問題がありましょう。この手の「ある」、ちょっと懐かしいような、情けないような「ある」には、にんまりしていしまいます。
このあいだも昨日も今日も見たような現実。
これもまた、だいじな俳句的愉楽です。
一方、ヘンテコな靴も、最近、目にしました。
立てよさあ木べらみたいな靴男 榊陽子〔**〕
音数からすると「くつおとこ」なのでしょうが、耳男(坂口安吾)を思い出したりして、「くつお」と読みたくもなります。
木べらみたい、って、靴男じゃなくて、靴べら男なんじゃないか、などとも。
こういうくだらない(あえてすばらしくくだらない、と言っておきます。自分のことなのに、あえて)連想をもたらしてくれる句は、文句ナシに、良い。
願わくば、靴男には、この句だけでなく、いろいろなシーンで、いろいろな人/モノと絡んでほしいものです。
〔*〕『静かな場所』第16号(2016年3月15日)所収。
〔**〕ふらすこてん3月句会:ブログ「川柳もと暗し」
http://yoko575.blog.fc2.com/blog-entry-135.html
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