2012/12/19

七七が付いてしまう俳句

自分の俳句に七七を付けられるのを嫌がる、あるいは怒る人もいるので、そんなに気軽に七七を付けちゃあいけないのですが、でも付けちゃう、という話題です。こういうのは最初に断っておくのがいい。




なるほど、万能でもない、と。

いま話題の『俳諧曾我』がらみで、こういうのはどうでしょうか。

  麿、変? 死して屍拾うものなし

前半は高山れおな『荒東雜詩』より。

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七七が付いてしまう句はダメな句、というのも昔からよく言われるようです。以前にも話題にしましたが、ダメ句判定機として使用される七七は、「昼のおかずにコロッケを買う」とか「それにつけても金の欲しさよ」。

でも、これって、どうなんでしょう。七七を付けてうまくハマるようならダメ、そうじゃなければダメじゃない句、というのは、ある種、俳句への幻想のような気がします。つまり、どんな句にも、付けようと思えば付いてしまう。

試しに……と考えているうちに、「昼のおかずにコロッケを買う」が素晴らしい感じで付いてしまう句群を見つけました。

鴇田智哉さんが「あるきだす言葉たち」という新聞の俳句コーナーに発表した作品「丘にゐた」を眺めていると、どの句も、コロッケと相性がいいような気がしてきたのです。

 ひとかげと九月の丘で入れかはる昼のおかずにコロッケを買ふ

 灯台になりたい秋は目をつむり昼のおかずにコロッケを買ふ
 
 丘にゐたときとは違ふいわし雲昼のおかずにコロッケを買ふ

元の俳句とはまた違う興趣が湧くような気がしてなりません。

七七が付く句はダメというのは間違いで、実は、七七が付かない句はダメ、ということではないのか。

ちがうか。

鴇田智哉さんが、七七を付けられると怒る人でないことを祈ります。

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