2019/04/26

■そんなこんなで

『川柳ねじまき』第5号(2019年1月)より。

こんな日があって井村屋あずきバーがある  なかはられいこ

どんな日なのか、人にはわからない。具体的な事情が、という意味で、わからない。けれども、それを伝えることがいいとも思えない。その人(作者)にとっての「こんな日」は、あるのだ。あると言うのだから、あるのだ。

雷電の錦絵なんといふ九月  佐藤りえ『景色』2018年11月

どんな九月だったのか、人にはわからない。ずいぶんと違う句のように見えるが、共通する気分があるような気がする。

うまく言えないけれど、ああ、そんな日を、そんな九月を、(どんな日だか、どんな九月だか知らないけれど)、誰かは、その人(作者)は過ごしているのだなあ、と、私(読者)は、具体という近さとは別に、遠くから、しかし親しく、人を、他人を感じる。それは、かなり気持ちよく、ラヴ&ピース!な事柄なのですよ。


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