『川柳ねじまき』第5号(2019年1月)より。
こんな日があって井村屋あずきバーがある なかはられいこ
どんな日なのか、人にはわからない。具体的な事情が、という意味で、わからない。けれども、それを伝えることがいいとも思えない。その人(作者)にとっての「こんな日」は、あるのだ。あると言うのだから、あるのだ。
雷電の錦絵なんといふ九月 佐藤りえ『景色』2018年11月
どんな九月だったのか、人にはわからない。ずいぶんと違う句のように見えるが、共通する気分があるような気がする。
うまく言えないけれど、ああ、そんな日を、そんな九月を、(どんな日だか、どんな九月だか知らないけれど)、誰かは、その人(作者)は過ごしているのだなあ、と、私(読者)は、具体という近さとは別に、遠くから、しかし親しく、人を、他人を感じる。それは、かなり気持ちよく、ラヴ&ピース!な事柄なのですよ。
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