2020/01/31

■自転車に乗って 構文の話

句の構造というか構文(?)の話。

俳句って、何かを伝えるのに字数が足りないケースが少なからずありまして、また、そこで何が言われているのか(広義のシニフィエ)を確定できないことも多い。で、その曖昧・不確定(悪い意味で使ってはいません)が、構造・構文に由来するものだったりする。

自転車のかごがからっぽの花野  前田凪子

この句、

《自転車のかご》が《からっぽの花野》

なのか、

《自転車のかごがからっぽ》の《花野》

なのか。

後者と読む人が多いかもしれません。前者のように《かご》=《花野》と把握するのはちょっと無理がある。後者なら、《花野》の直前にある「の」に意味を補えば、現実的な景色になりますしね。《自転車のかごがからっぽ》の状態で《花野》にいる/やってきた。

でも前者の非現実的な景色も、興趣という点では捨てがたいでしょ? むしろこっちのほうが面白い。


これ、難しい問題ではあるんですが、どっちと確定させない手もある。俳句ではよくあるんですが、響き/メロディーがひとつではなく、複数。

どちらも響いてきて(あるいは2枚の絵がオーヴァーラップして)、滋味が増す。

どちらかひとつ、と決める必要ってなかったりするわけです。俳句でも、なんでも。

ラヴ&ピース!


掲句は『鏡』第34号(2020年1月1日)より。






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