2008/10/07

エレガントな抽斗

「知識についての知識について」
http://blog.tatsuru.com/2008/09/24_1730.php
内田樹と町山智浩という、愛読ブログふたつが接近。

ネット検索があれば、「無知」が数分後には「博識」に化ける。 知識はすぐに備わる。たくさんの抽斗をいっぱいにするくらいの書類は誰でもすぐに集められるけれど、「ああ、こりゃあ、エレガントな抽斗だなあ!」というケースはきわめて少ない。

問題は、そこなのです。はい。

抽斗は多いが、未整理でごじゃごじゃ、というパターンも多い。

いったい何に使う抽斗なのか、という問題はさておいても、である。

  

このことはどんな分野にも言えることだが、例えば、俳句。

むりくりの展開?

題詠をやらせると、「こいつ、化け物か」というお年寄りがいる。思考の瞬発力という点では、私と同年代の「俳句じょうず」や若い才気煥発な俳人くんたちのほうに分がありそうだが、実際のところ、こうした「化け物」的ご老人の足下にも及ばない感じ。

何が違うのかといえば、抽斗のエレガントさ、なのだ、きっと。

抽斗に入っているもののクオリティ、そして、何かが俳句へと形をむすぶ、その回路の豊富さ、その整理の良さ。すべてをひっくるめてエレガント。

わたくしもせいぜい精進します。でも、あと、少なくとも50年はかかるので、そのはるか以前に寿命が尽きる。

自分自身に「ご愁傷さま」と言ってあげたい夜。

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