2018/05/15

■冒頭集:ザ・ジャパン 

、いったようなこと全部が、初手(はな)から旨くすすんでいったわけではなかった。
 私は長い長い失業期間からやと脱けだし、ニューヨーク州ニューヨークで、西日本の、とある放送局の現地レポーターに雇われたばかりだった。給料はよかった。車も換えたばかりだった。マンハッタンのど真ん中に、七十畳ほどの、狭いけれど快適なアパートも貸与されていた。(畳というのは東西問わず、日本古来の広さの基準だ。彼らは、縦六フィート横三フィートのタタミマットをもって、広さばかりかあらゆることを推しはかろうとする)
 ところで、こうしたアパートは、ドクシンリョウと呼ばれている。たいていの優良企業が不動産部門を持っている西日本社会では、会社が社員の家賃を肩代わりしたり、給料に上乗せするのではなく、こうして直接いくつもの住宅を、--国内にあっては住宅の供給ばかりか、あらゆる公共サービスを--保有している。
矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』1997年/新潮社

共産圏・東日本と自由圏・西日本に分断された虚構としてのもうひとつの戦後。

関西人が怒り出しそうな「ヘンな関西弁」が横溢。作者は横浜生まれ。

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