ネクタイのかはりに滝を掛けておく 10key
という句をつくった。そのことを嫁はんに告げると、
「わからない。
滝のかはりにネクタイを掛けておく
なら、わかるけど」と。
おっ! なるほど! まったく俳句をやらないわりに、鋭い指摘。
代替は二物が交換可能なので、どちらにもできるのはとうぜんなのだけれど、いわゆる句意は違ってくる/句のなかの行為が違ってくる。
さて、どちらにするか。あれこれと考える。
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この春には、オオイヌノフグリで一句つくろうと思い立ち、哲学者と組み合わせてみましょうかということで、犬儒派の名前をまず思い浮かべたけれど、これって、気取り過ぎだし、なんだか背伸びしているみたいで、俳句って背伸びするとかならずバカがばれる。これはやめにして、イヌからではなく、ふぐりから出発して、
おほいぬのあるきめですのふぐりかな 10key
に落ち着いた(『短歌・俳句 We』第5号「卓球」20句)。風呂という俗っぽいエピソードに寄せたほうがいいという判断。景も見えるしね。(どんな景だ?)
一句をつくるとき、あれこれ考える。ちゃくちゃと、いじる。これって、俳句をつくる愉しみの、ひじょうに大きな部分を占めているわけで、例えばレゴかプラレールで遊ぶ(そんな洒落たもので遊んだことはないのだけれど)みたいなところがある。だから、句会でつくった句は、持ち帰ってからが愉しかったりするのですね。
ラヴ&ピース!
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