2018/05/18

■あれこれといじる愉しみ

このあいだ、

 ネクタイのかはりに滝を掛けておく  10key

という句をつくった。そのことを嫁はんに告げると、

「わからない。

 滝のかはりにネクタイを掛けておく

なら、わかるけど」と。

おっ! なるほど! まったく俳句をやらないわりに、鋭い指摘。

代替は二物が交換可能なので、どちらにもできるのはとうぜんなのだけれど、いわゆる句意は違ってくる/句のなかの行為が違ってくる。

さて、どちらにするか。あれこれと考える。



この春には、オオイヌノフグリで一句つくろうと思い立ち、哲学者と組み合わせてみましょうかということで、犬儒派の名前をまず思い浮かべたけれど、これって、気取り過ぎだし、なんだか背伸びしているみたいで、俳句って背伸びするとかならずバカがばれる。これはやめにして、イヌからではなく、ふぐりから出発して、

 おほいぬのあるきめですのふぐりかな 10key

に落ち着いた(『短歌・俳句 We』第5号「卓球」20句)。風呂という俗っぽいエピソードに寄せたほうがいいという判断。景も見えるしね。(どんな景だ?)

一句をつくるとき、あれこれ考える。ちゃくちゃと、いじる。これって、俳句をつくる愉しみの、ひじょうに大きな部分を占めているわけで、例えばレゴかプラレールで遊ぶ(そんな洒落たもので遊んだことはないのだけれど)みたいなところがある。だから、句会でつくった句は、持ち帰ってからが愉しかったりするのですね。

ラヴ&ピース!

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