蜜蜂のとろりと釣瓶落しかな 市川葉
蜂蜜ではない。蜜蜂。
斉田仁さんにたしか《蜂蜜のどろりと春の遊園地》という句があった。
蜂蜜はたしかに「どろり」です。
掲句の「とろり」は蜜蜂の眠たげな様子か。「釣瓶落し」がしっくりくるのは、色もあるのだろう。蜜蜂の色、さらには蜂蜜の色。
斉田仁の遊園地の句も、遊園地の日暮れを思わないこともない。最初に読んだときは真昼の遊園地を思い浮かべたけれど(春の懈怠)。
一句のイメージの塑像に色が関わることは多い(何色と明示するのではなく)。「蜜蜂」という事象はまずもってその色彩で「釣瓶落し」にきちんと《付いている》。
《付き過ぎ》ということが俳句世間ではしばしば口にされるが、その《付き過ぎ》の失敗とともに、《まるで付いていない》失敗もよく目にします。「その季節だから」「なんとなく雰囲気が」という気楽さもいいけれど、まずはきちんと付ける。付き過ぎを心配するのは、そのあとの話でしょう。
※なお、掲句、「蜜蜂」ではなく、仮に、「蜂蜜のとろりと」であっても、好き句。
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