《時空の構造(ストラクチャー)でなく質感(テクスチャー)を創る作業》
《型を疑い、素描を避け、モノ以上にそのモノを存在せしめる空気(内的環境)を掴む》
《感触をたしかめるように、ことばにふれる快楽》
《ボサノヴァのような無指向性》
《ことばは世界のすがたをなぞり、その多様性に共鳴しながら、なにがしかの意味を部分的に残して、いつしかただの運動の痕跡と化す》
《そんな愉快な無をふくんだ俳句》
小津夜景【みみず・ぶっくす 56】有機生成俳句の庭で
http://hw02.blogspot.jp/2016/01/56.html
示唆と刺激に富む一文。
俳句を読むのも、俳句を作るのも、《ことばにふれる》のが面白い・愉しいからなのだと、あらためて、このシンプルな事実を思いました。
そして、とりわけ、つくるときの、あのライブ感、ことばにまつわる脳内ライブは、かなり中毒的。
(それだけに、ライブ感を伴わないときは=惰性とか自己模倣とか間に合わせの手癖とか、つまらなくて苦しいわけですが)
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