朝日新聞に小津夜景さんの12句「胸にフォークを」。
≫http://www.asahi.com/articles/DA3S12831866.html
(やがてリンク切れになるでしょう? 新聞記事って)
なかなかに自由奔放な12句。
それはそれとして、読んだ(見た)人の反応として、記事に付された著者近景〔*〕を見て初めて、夜景さんが女性であることを知った人もいらっしゃるようだ。
ということは、彼らは、角川『俳句』3月号も、北海道新聞のエッセイ「かもめの日の読書」も、『週刊俳句』の新春対談「〈身体vs文体〉のバックドロップ 格闘技と短詩型文学」も、夜景さんのブログも、どれも読んでいない。
あんがい(というかあんのじょう)、記事は読まれず、人名とその作品が世の中を漂うわけです。これは、読まないのはダメといった話ではなく、また今回個別の事情でもなく、記事というもの、全般に、あまり読まれていない。
書く→載る→読まれる、という過程と結果は、ともすると、自然に進行するように考えがちですが、誰かに読まれるという成果へと達するのはきわめて困難なことなのですね。
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このところ、俳句について何か書くとき、「どうせそんなには読まれない」と、気楽に考えるようにしている。これは自分にとってはポジティブな方向性。
同時に、「前に書いたことがあるから」といって書かないでおくということもしないようにしている(このことも前にどこかで書いた)。「前に書いた」ものを読んでいる人はごく限られている。何度同じことを書こうが、初めて読む人がいる。
なお、読まれないから品質はどうでもいい、という話ではありません。書く以上は、どんな戯言でも片言でも、その時点でめいっぱいのベスト。
〔*〕この著者近影、私がお会いした夜景さんとはちょっと感じが違う。この写真だとしっかりした人みたいに見えますが、私の記憶では、いつ見ても道草くってる、あるいはわざと迷子している子どもみたいな人、という印象。明晰な散文とのギャップに驚く人は多いと思います。きっと、写真とは、いろいろな写り方をするもの、ということですね。
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