白鳥に純白で絢爛なイメージがあったのは、実際に目にするまでのことで、秋田で、ほんのそのへんに、たくさんいるのを見たときは、泥でそこそこ汚れているし、田を行き来する姿はそれほど優美でもない。日常のなかの白鳥。この鳥を間近に暮らしている人たちのイメージは、私たちとは違うのだろう。
と、それはそれとして。
白鳥が来るとき狭い君の部屋 近恵
「君の」と二人称で限定された「部屋」にまつわる、関係の近さ、いわゆる親近感。それと白鳥の飛来とが照応する。
「いる」白鳥が場合によっては少々泥で汚れ日常的ではあっても、「来る」白鳥は、そんなことはない。私(たち)の住む地域、というよりももっと広いスケール=「気候帯」への飛来であるからには、いつでもいくばくかの非日常性をまとう。「君の部屋」という「狭い」空間との対照も相俟って。
なお、「とき」を「狭い」に続けて読むことはせず、つまり散文的に読まずに、ここで切って読む。白鳥渡るときだけ狭いわけではない。「君の部屋」はいつだって「狭い」。君と私とふたり、あるいはもうひとり加えたくらいでもう、人でいっぱいの、狭い部屋。
掲句は『豆の木』第20号(2016年5月5日)より。
なお、手元に残部1冊あります。ご興味のある方は、tenki.saibara@gmail.com までお知らせください。送らせていただきます。
1 件のコメント:
残部なくなりました。
ありがとうございます。
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