週刊俳句・第300号に「創刊の頃」という回顧記事みたいなものを書いたのですが、その拾遺というか余話。
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週俳は最初、上田信治さんと2人で運営していたと、いつの頃からか思っていたが、初期のバックナバーをめくってみると、信治さんによる「後記」は第10号が最初。創刊準備号から主要執筆者ではあったのですが、この第10号あたりから本格的に運営に加わっているということですね、きっと。
この手のことに万事、物忘れがひどいのですが、信治さんはまだ健忘症が始まっていないらいしく、そういえば、「自分が加わったのは…」といったセリフを聞いたような気がする。
とりあえず、私ひとりで始めたのは、いま思い出すと、意識的で、つまり、「ひとりなら始めやすい」という狙いからだった。そういえば。
この喩えが合っているのかどうか知らないが、ローギアで発進して、しかるのちギアを上げ、ゆくゆくはオートドライヴモード、というのがアタマにあったのだ。
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当初(号数が一桁の頃)は、俳句総合誌のレビューが大きな割合を占めている。『俳句』『俳句界』、そして当時はまだ廃刊となっていなかった『俳句研究』、この3誌を、五十嵐秀彦さん、上田信治さん、私で、順繰りにレビューした。
それに加え、俳句総合誌へのちょっと変わった切り口を自分で考えた。
≫俳句積載量 4誌比較:第2号
≫図書館カバレッジ 8誌比較:第3号
数える、という小学生でもできる作業からつくった記事。ヘタに考えるより、数字がモノを言ってくれる、ということがあるものだ。
思えば、この頃は、いちおう、いろいろとアイデアを考え、それを実行に移していた。
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紙の雑誌(俳句雑誌)とウェブマガジン(例えば週刊俳句)という対照を、リアル対インターネットといった図式で捉える向きも多かった(今でも多いかもしれない)。
まあ、それは事実ではあるんだけれど、私は、リアルに人間だしね(肉体を持たないサイバーな存在だったら面白いし、カッコいいんだれど、そうじゃない)。
私以外の運営も、いわゆる「文系」ばかりで、なぜかほぼ阪神タイガースファンで固められている。したがって、インターネットに詳しいわけでも、夢を抱いているわけでもない。
つまり、週俳は、インターネットだぜい!と叫んでいない。
まあ、10年前なら叫んでもいいのですが、いまやモンゴルの砂漠やアフリカの奥地でさえインターネットにつながる時代です。そこで叫んでもしかたがないですわな。
(ところが、いまだに、特に紙の俳句雑誌では、10年前と変わらぬ言説が繰り返されていて、さすがに萎えますよね。ダメ映画に登場するハッカーが、暗い部屋の中で顔が見えず、キーボードをカチャカチャやっている、あの噴飯物の通俗イメージに浸りきって、「ネット」を語っていたり、しない?)
週俳はたしかにウェブなんですが、一方で、紙での仕事を残しています。そこは案外注目していいところかもしれません。。
『虚子に学ぶ俳句365日』(≫こちら)
『子規に学ぶ俳句365日』(≫こちら)
『俳コレ』(≫こちら)
これからも紙の仕事を残していくんじゃないでしょうか(先のことはよくわからんけど)。
(つづく、かも)
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