≫週刊俳句・第500号
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/11/50020161120.html
運営のひとりとして、発案者として、ちょっとお話をします(初めての内容ではないと思うけど)。
1 そもそもの始まり
俳句ウェブマガジンを思いついたのは、創刊の半年くらい前。アイデアの発端は、夜中近く中央線下りの電車の中。なにかのイベントか句会の帰りだったのだろう。田島健一さんが「俳句のポータルサイトができないかなあ」てなことを口にした。
ポータル、って今はあまり言わなくなりましたね。Yahooの俳句特化版みたいなイメージだったのでしょうか。当時はブログ全盛で、トラックバックで俳句にまつわる見解・意見を交換していた。といっても少人数。そこに田島さんも含まれていた。
ポータル? んんん、それはダメだろうなあ。おもしろくなさそう。そんな感想を言った。
で、ひとりになったとき、雑誌形式ならおもしろいかも、と。
そのアイデアを頭の中で具体化するのに時間も手間もかからなかったけれど、ちょっとした事情から半年ほどアイデアを寝かせ(角川俳句賞の選考で私の作品がひっかかり、私の名前が悪目立ちした。そのほとぼりが冷めるのを待った)、2007年春、創刊準備号、創刊号をつくったわけです。
当初ひとりで始めたのは、複数になると時間がかかるから、という理由。
ひとりだと打ち合わせやすり合わせの時間はゼロ。とりあえず始めてみれば、運営を手伝ってくれる人が見つかるだろうと思っていました。ひとりでずっと続ける気はなかった。実際、創刊当時、「俳誌を読む」を分担してくれた五十嵐秀彦さん、上田信治さんと合同で始まったようなものです。
2 こんなに長く続くと思っていたか?
…という質問には、「思っていなかった」と答えるパターンが多い。挨拶として、ね。
でも、答えは、
「続くと思ってた」
です。理由は、続くように設計したから。
3 紙vsインターネット
はじめの頃は、こういう不毛の対立が、俳句世間には目立った。今でもあると思いますが、当時は、いまよりさらに、ネットがどうの、従来の紙媒体がどうの、という捉え方が優勢でした。
週俳をその対立の脈絡で考える向きも多かったようです。俳句総合誌を、冷静にレビューした記事を載せていたことも、あるにはあるのだろうけれど、それよりももっと感情的・非理知的なものです。
《紙》側にはラッダイト的な嫌悪・恐怖があり、また、「程度の低い」「わけのわからない」「顔の見えない」インターネット俳句への蔑視があるのでしょう。一方、《ネット》側には、新技術への興味のほか、アンシャン・レジームな権威への対抗心のようなものもあるかもしれない。
けれども、週俳は、そのどちらにも与しない。というか、そんな対立にまったく興味がない。紙とかネットとか、どうでもいい。そういうスタンス。
インターネットの技術的・コスト的メリット(コストは広義)を利用し、紙(リアル)の権威や信用も利用する。これは現在も変わっていない気がします。
(つづく・その1と書いた以上、それはやはり)
【オマケ 01】
トップ写真の最初は第75号。意外に遅い。どこかで拾った写真だったけれど、それはやはりまずいということで自分や読者の撮った写真を使うようになった。その最初が第79号。
【オマケ 02】
2007年、音楽業界はどんなだったのだろうと、こんな記事が。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20071227/1005785/
ディストリビューションに関して画期だった模様。週俳スタートにむりやり結びつけたい。
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