2017/01/20

■カモメとか廃屋とか

週刊俳句・第508号に、

終わらない散歩 小津夜景『フラワーズ・カンフー』 を寄稿しました。

エピグラフ(紀野恵の短歌)は、ずいぶん前、この句集を読んですぐのときに決めていました。ここは「やったぜ!」という感じ。

本文では、「三鬼、ぎゃふん」「人間ではなく狼に育てられた子」の2箇所を自分で気に入っています。

書き終えて、最後に、タイトル(終わらない散歩)で難渋しました。ほんと、むずかしい。これだ、といったぐあいには決まらなくて、妥協。ちょっとくやしい。

ひとつ、このレビューでだいじなことを書き忘れていた。

夜景さんの句は、調べがいい。

何度か書いたけれど、「調べ」とは韻律や音だけではありません。もちろんそれもあるのですが、語と語のつながりがつくりだす感触、語と語のつながりの纏う意味が調べに寄与する、邪魔しない。その意味での調べです。



余談。

『フラワーズ・カンフー』の冒頭の句にあるタブラ・ラサ。これについては悪い思い出があります。

俳句を初めて数年、結社にいたとき、何十句かの未発表句を対象にした結社内の賞に応募したことがあって、その句群のタイトルに「タブララサ」と付けたわけです。

審査結果が発表になって、見ると、選考委員のベテランがこのタイトルに触れている。

こちらとしては、俳句を始めてまもないから白紙状態というのはその気分に合っているし、ちょっとオシャレっぽいし、と軽い気持ちでしたが、どうもお気に召さなかったらしい。辞書を引いて意味を説明までしてくれながら、苦々しい口調。

タブラ・ラサとか(それから『フラカン』で隣りにある千年王国とか)、社会科学系の読書をしていたら、それほどめずらしくもなく登場する用語であり、ネタです。でも、耳慣れない人、初めて見たという人も多いのでしょう。邪推をすれば、そのベテラン俳人は、自分の知らない語が出てきたのがおもしろくなかったような感じでした。

それ以来、タイトルは、誰にでもわかる語にしようと決めました(例:けむり)。でも、ときどき、いたずら心が首をもたげて、その結社誌の自選5句のタイトルに「糸脈」とかと付けて、喜んでいましたよ。

とまあ、思い出話ですが、『フラカン』は冒頭に「たぶららさ」。わりあいチャレンジングな始まり方なんですよね。

「どう読もうが知ったことか」みたいな姿勢(好き勝手)が、あのキュートな雰囲気の一冊の中にあって、それが私には好ましいのですけれど(≫過去記事参照)。



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