〔関連記事〕
小津夜景 〈身体vs文体〉のバックドロップ
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「川柳スープレックス」お知らせ記事
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新春対談 小津夜景✕飯島章友
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小津夜景さんといえば、このあいだ憲武画伯が「夜景ちゃん」という呼び方をして、たいへん新鮮だったのですが、私はやはり「小津博士(おづはかせ)」がしっくり来ます。
で、小津博士の『フラワーズ・カンフー』、15首だけ入っている短歌がとても良くて、楽しい。
博士は、短歌をたくさん読んでいる人らしいのですが、つくったことはないそうなので、ちょっと驚きです。もっとも、『フラカン』という本に棲んでいる人(≒小津博士)は夢も現も区別のない人なので、夢のなかで何千首もつくっているのかもしれません。
で、その八田木枯頌15首「こころに鳥が」には、例えば、
心音がロールシャッハとなる夕いらして蝶の軽さに遊ぶ 小津夜景
聴覚・視覚・触覚のマルチメディア的交錯とか、「いらして」の挿入具合とか、助詞への気配りとか、なんともナイスな調べ。
ところで小津博士は、短歌に関して、直球好みの模様。
≫反スイート論、そして絶唱。
http://yakeiozu.blogspot.jp/2016/12/blog-post_27.html
フォークボールやナックルのように打者の手元で変化するのではなく、捕手のミットへズバンと収まる直球。そういえば、
この指は音叉でせうか音叉とは抱きあへない木霊でせうか 同
スイートではありますが、直球な恋歌。
『フラカン』は、統一されたイメージ・感触とともに、幅のある本。その幅には短歌ページも大いに寄与してるっぽいですよ。
『フラワーズ・カンフー』(2016年10月/ふらんす堂)
≫http://yakeiozu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_23.html
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