何かを書くとき、私の場合、想定する読者はひとり。
シノギは別にして、きほん、ひとりに向けて書きます/つくります。
例えばこのブログ記事は、確実に読んでくれているはずのひとり。
(ふたり以上が読んでくれているという確証が得られないという事情もある)
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例えば俳句は、自分ひとりに向けて。
「自分」は(物理的に)最初の読者でありますから。
享楽的で自由気ままな、すなわち信頼できる読者であるように、日々努めております。
ただし、句が人の目に触れるとき、連作などの発表時は、不特定の読者諸氏へと想定が切り替わる。この段階は、「書く」ではなく、編集。
俳句をつくる人と編集する人が、べつべつの役割と心持ちをもって同居していることになりますね(俳人は誰もがそうなのだと思います)。
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