2017/08/05

■句は何を待っているのか?

野口る理さんの現在進行中の連載「ほどける冠」は、俳句の賞に関する話題で、「なんでまたこんなややこしくて微妙なテーマを?」とおせっかいながら思ってしまうわけですが、だからこそ面白くなりそうな予感もあります(どうなるんだろうね?)。

なお、私自身は俳句の賞全般に興味関心がほとんどゼロ。自分が応募することはおろか(過去に応募・参加したことはある)、他人の受賞や落選にも関心がなく、つまり賞自体に関心がない〔*〕。知り合いが受賞すれば「おめでとう」は言いますが、それだけ。理由は、機会があれば書くかもしれませんが、当面、この記事には関係がないから、話を進めるね。

で、テーマとは別に、2017年8月5日の記事チャーリー・ブラウンの巻き毛に幸せな雪〉という句について「んなに×をつけられている中、谷雄介さんだけが◎をしてくれていた」とある。

へぇ、×? この句はよく憶えている。私は好きで、ウラハイで引用した。

http://hw02.blogspot.jp/2014/01/blog-post_14.html

柳本々々さんも、この句を大々的に取り上げている。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/09/blog-post_16.html


何が言いたいのかというと、人それぞれ、好みや見解が違うのだなあということはもちろんなのですが、そう焦って◯とか×をつける必要はない、ということ。

句は、◯×をもらうために生まれてきたわけでも、◯×のプラカードが上がるのを待っているのでもなく(とはいえ、そういう側面もある。判断や評価はだいじ)、読者を待っているのではないか、ということ。

句は、あわてずさわがず、読者を待っていればいいんだ。

そう考えると、つくるこちらとしても気が楽だし、じぶんのつくった句のことがかわいくなってきませんか?(子離れができない親というのではなく、「いい人が見つかればいいね」とやさしく見守る態度)。


〔*〕週刊俳句で賞を企画したときは、どうするんだろう(過去、週刊俳句賞の名で賞イベントをやった)。そのときは、他の人に担当してもらいます。

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