2017/05/13

■土竜と鍵盤 『豆の木』第21号より

もう鍵盤がない息のない土竜  宮本佳世乃

ピアノの鍵盤は通常88鍵。下はA、上はC。その範囲の外に行けば、「もう鍵盤がない」。

と解釈してみるものの、この句の前半が言わんとすることに近いかどうか心許ない。よしんば音域の話だとしても、だから何という明示はない。

けれども、この欠損の感触は、妙に身体に来るところがある。

「息のない土竜」の「息」は、声を媒介としてピアノとつながるといえばつながる。超低音域・超高音域まで行かなくとも、声や息が鍵盤についていける範囲は知れている。ここでも、不可能や欠損のイメージに覆われる。

けれども、息の話ではなかった。息絶えた土竜がごろりと転がっている。

俳句の描写がもっぱら対象としてきた景や感情とは別のものが、この句にはあるような気がして、アタマを離れない句。

対句に近いが「ない」の用い方でズレをつくっている趣向も、なかなかにオツ。


なお、宮本佳世乃の連作「おはやう」には、ほかに、《素数から冬の書店に辿りつく》《口中に光る雲雀の落ちてくる》など、いわゆるわかりやすさ・意味了解性を忌避する/から自由であろうとする句が大半。いずれもおもしろく、作者のこのところの充実ぶりが伝わる。しかしながら《鍵盤と土竜》の句に比べて、どこか既視感が漂うのは、前者が「素数」という概念の擦り切れ感、後者が季語の負の働きによるものか。

ついでに言うと、無季の句、

二階建てバスの二階にゐるおはやう  宮本佳世乃

は、田島健一《西日暮里から稲妻みえている健康》を思い出さざるを得ない作り。バカバカしいまでの健やかさという点で、勝るとも劣らず。


掲句は『豆の木』第21号(2017年5月5日)より。

【参考】土竜の句
http://hw02.blogspot.jp/2013/03/blog-post_14.html

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