八月某日。
カーラジオからピストン西沢のDJ-MIX。気持ちいいことこのうえない。成分曲を調べると、1973年の「Shaft in Africa」という映画のサントラ。
「うんうん、これこれ」と上機嫌で聴いていたベースは、チャック・レイニーであったことが判明。「うんうん」と、あらためて。
八月某日。
くにたち句会。席題8題。25句ほど投句。考えずに俳句が作れたのは久しぶりのような気がする。故・田沼文雄さんの教えは、「俳句? 考えない考えない」。これがなかなか難しい。
句会後、俳句の話があまり出ないのが、この句会の特徴(私の行く句会はだいたいそう)。句会のあいだ、さんざっぱら俳句の話をしているのだから、終わったら当然、別の話でしょ?と思っていたが、これは、どちらかというと異例らしい(句会後も俳句の話をする句会が多いらしい。そういえば…)。
この夜は、例えば、某若者の内面における架空妻vsリアル女医といった問題からだったか、そうじゃなかったか、なぜかその方面に針が振れ、フーコー的観点も見え隠れしながら、最後は獣姦まで。淑女も交え、広範かつディープに話題が展開したのでありました。
八月某日。
某誌より依頼の八田木枯さん追悼文を締切ぎりぎりに書き、送稿。はなはだ心許ない。昨年3月19日に木枯さんが亡くなってから、思い出話などを、例えばブログや mixi などにほとんど書いていないと思う。書きたくなかったのは「もったいない」からだった。私が木枯さんと接したのは、ほんのわずかな時間だったが、それでもいくつかの思い出はある。それは、たくさんの人に披瀝せず、自分ひとりで大事に持っておきたい。それが、もったいないという感情。
追悼文は何を書けばいいのかわからない。木枯さんの俳句については、エラい人がたくさん書くだろうから、私などが書くことはない。書けるとも思わない。結局、小さな思い出話と木枯さんへの思いを綴ることになった。それでよかったのかどうか。よくわからないが、もう送稿しちゃったから、しかたない。諦めて覚悟を決めることにする。
0 件のコメント:
コメントを投稿