2012/09/19

媚態

『里』2012年5月号、上田信治「成分表76」より。
自分は、女性歌手の若々しくたっぷりと媚態をふくんだ歌を聴くと、ありがたく涙ぐましいような気持ちになる。ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」とか。
涙ぐましいかどうかは別にして、ロネッツのかわいさったら、ない、わけで、再三取り上げているのですが、またもや貼ってしまう。



ついでにリンク(旧ブログ)も(≫ロニー・スペクター

閑話休題。「成分表76」の終盤には、こうあります。
ロネッツを聴くと、ロネッツになりたい、と思う。電車の好きな子供が、新幹線になりたいとか言う、あれだ。
ここは、ごめん、わからない。つうか、自分は、なりたいと思わない、ということなのですが、大事なのは、ここからです。

「成分表76」では川島彷徨子《夏蜜柑の種子あつむれば薄緑》を掲げてのち、
では、写生とは、薄緑のみかんの種になりたいような気持ちになることか、と思ったりします。
なるほど。この写生観は興味深い。しかしながら、残念にも、その「なりたい」の気持ちがわからない自分は、次のように解釈することにします。

「たっぷりと媚態をふくん」で自分に歌いかけてくるもの(世界のさまざまな一部)に魅了される、その契機を書き留めようとする行為、それが自分にとっての俳句なのかなあ、と。

この夏蜜柑の種は、ほんと、かわいい。

世界は、ロニー・スペクターの微笑みやら夏蜜柑の種やら、私(たち)を魅了せずにはおかないもので満ちている。ありがたや、ありがたや。そのことに毎日気づいていたいものです。

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