何ものでもない人、何ものももたぬ人は通過し、道をゆずる。何らかの力、あらゆる力を前にし、何ものかを前にし、あらゆる決定とか限定とかを前にし、踊る女は、舞踊は、道をゆずる。ステップとはステップにゆずることである。こうして運動が生じる。こうして優美さが生じる。優美さは何ものでもない、それはステップをゆずることにすぎない。難しく考えないで、そら、ステップを譲らないとなると、足がぶつかるわ、人の足は踏むわ踏まれるわで、どうにもこうにも、だわなあ、と、くらいに解せば、とても為になる。
(ミッシェル・セール「アルバのバレー」 『生成 概念をこえる試み』 及川馥訳 法政大学出版会・1983 p78)
優美とは、状態ではなく、行為のあり方のようでもあるのですね。
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