八田木枯さんが亡くなって半年と一週間が過ぎた。
短いあいだだけれど句会をご一緒させていただくなど思い出はある。でもそれをどこかに書く気には、なかなかならない。だって、もったいないから。思い出は独り占めしておきたいじゃないですか。
いまもいろいろな思いがあるのだけれど、それを書くのは難しい。
ひとつ、私にとってうれしいのは、 木枯さんの追悼記事などで目にする肖像写真、あれが自分の撮った写真であることだ。
晩紅塾のときだったか(私は数回しか参加していない)、2008年6月3日、夜の8時だから句会のあとだったのだろう。カバンにカメラがあったので、なんの気なしに撮らせてもらった(おそらく着物姿が渋かったからだと思う)。2~3回しかシャッターを押さなかったが、すごく良いお顔に撮れている。偶然とは恐ろしいものです。
木枯さんの優しさや飄逸、また威厳(といってもけっして人を圧することのないたぐいの)、そんないろいろな魅力が、あの写真の顔にあらわれている。
自分で撮っておきながら、こんなことを言うのはなんだが、これは私の腕前ではなく(写真技術的にはダメダメです)、偶然が生み出したものなのだから臆面はない。
帰宅してからモノトーン処理のパターンもつくり(人の顔の写真って、カラーだけじゃなくモノトーンも欲しい) 、次にお会いしたとき差し上げた。紙焼きだけだったかCD-ROMも付けたか。それは忘れた。
木枯さんも気に入ってくれたようで、「雑誌で写真が要るときは、これ、渡しといたらええな」と笑っておられた。そのうち私が知らぬまに、あの写真はいろいろな誌面に掲載されたようだ。そんな用途があるなら、バックの壁などももう少し考えればよかったが、なにしろ、あのときは、ほんの数十秒ほどでシャッターを切っただけだったのだ。
俳句雑誌や出版物、あるいはウェブ上で、木枯さんのあの写真を、これからも何度か目にするだろう。そこのところは、みなさんも私も変わらない。けれども、私だけは、写真を見るたびに、木枯さんと向かい合ったあのときのことを思い出すことができる。
そして、これからさき、あの写真は長く残るだろう。私と俳句との関わりは長くてあと数十年。それから先は何も残らない。痕跡は、ウェブ上の恥ずかしいログとして残り、あるいはいくつかの印刷物としても若干残るだろうが、私という存在は残らない。ところが、あの写真は、これからも俳句史に残っていくのだ。
写真一枚。あのとき偶然、私にもらたらされた写真が、自分にとって、なんだかとてもスペシャルなものになった。木枯さんのこと、自分にとって貴重な出会いや思い出が、「自分だけのもの」でありつづけるための記念碑のような(もちろん自分にとって、というだけの話)存在なのだ。
ええっと、つまり、「いいでしょ? うふふ」という話です。ごめん。
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