同じく柱が燃えるにしても、
いつせいに柱の燃ゆる都かな 三橋敏雄 (まぼろしの鱶 1966)
焼藷屋柱燃やしてゐたりけり 大石雄鬼 (だぶだぶの服 2012)
大違い。
どちらがいいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そういう話ではないです。
ところで、焼藷屋の句は、どう解せばいいのか。焼藷屋の屋台を思い出してみるに、たしかに柱がある(ないタイプももちろんある)。柱は経年の営業から焦げてもいそうだ。しかし、それを「燃やして」というか? この句の景は、ごくごくありふれた現実の景なのか(「燃やす」は誇張であり文彩)、それとも単に小火なのか。あるいはシュールな事件なのか。あるいはこれが屋台でないとしたら?
答えを出そうってんじゃあ、ありません。俳句はなぞなぞではないので。
でも、謎を残す句は気になります。
大石さんの『だぶだぶの服』(ときどき「だぼだぼの服」と覚え間違えそうになる)は、素晴らしく「おもろい」句集(と幾度となく宣言している)。謎がいたるところにあって飽きない。もちろん巧い描写の句も(息抜きの如くに)存する。
この脈絡で難を言えば(こういうのも言っておくほうがいい)、謎が謎だとわかりやすく示され過ぎる点。誰でも読めば何がしかのワンダーを手にするが、誰もが通り過ぎるけど「わたしだけのワンダー」といった仕掛け・風味は、ちょい足りない気が、いまはしてる。
ま、そのへんも含め、また別の機会に(週刊俳句とかウラハイとかココとか)。それにまた、いろいろな人がこの句集を取り上げるでしょう(半面、批評という側面で手を出しにくいところはある。いわゆる一筋縄じゃ行かないところがある)。
≫大石雄鬼句集『だぶだぶの服』 ふらんす堂オンラインショップ
2 件のコメント:
屋台の柱が燃えてるという情景もふと頭をよぎりますが、柱だった材木を薪として燃やしている、と。
それが「正解」ですね。
となると、不思議さが低減します。舌足らずと言っていいのか。それが狙いの巧妙と言っていいのか、微妙なところです。
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