南アメリカのアンデス山中に住むケチュア族は、一風変わった時間的感覚をもっている。それはわれわれにとって、まさに摩訶不思議なものなのだ。なにしろケチュア語では、未来は「前方」にあるのではなく「後方」にあり、過去も「後方」にではなく「前方」にあるというのだ。
ロビン・ギル『誤訳天国 ことばのPLAYとMISPLAY』(1987年/白水社)
冒頭の数行で身を乗り出す。どういうことだ? なぜ私たちとは逆なのだろう? と興味が湧く。これをクイズと思って、答えを考えてみる時間をとるのがいいかもしれません。
1曲、かけます。いわゆるシンキング・タイム。
さて、答え。
彼らはこう説明する。予言者でないかぎり、未来は見えない。見えないということは視野から外れているのであり、つまり「後ろ」に潜んでいる。いっぽう過去のことは、あたかも目の前のものを見るように誰でも思い出すことができる。つまり「先」にある、というわけだ。というわけでした。
なお、この本、この冒頭からは想像できない内容へと展開します。書名のとおり「誤訳」を扱う。実際の事例を扱う。
誤訳のない翻訳はない。それは著者ロビン・ギルも言っている。ただ、程度がある。あまりに悲惨・劣悪なものは、やはり問題視されるべきなのだ。
ちなみに、私が知っている「惨事」は(実際に読んではない。聞いた話)、文化人類学の英文和訳。「憑依」と訳すべき「possession」をすべて「所有」としてしまった例。どんなにシュールな和文なのか、想像がつく。というか、それで意味が通ると、なぜに思った? 訳者・編集者。
閑話休題。
ケチュア族・ケチュア語、なんとユニークな!
と驚きつつ、日本語にも、不思議なところがあるなあ、と。
「先(さき)」という語。「このさき」は未来。「さきに」は過去。摩訶不思議です。
【敬愚(robin d. gill)過去記事】
≫金玉の寂しさ Balls Gold & Blue 或いは子規居士の睾丸供養
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/07/blog-post_392.html
≫雛の日
http://hw02.blogspot.jp/2010/03/robin-d-gill.html
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