2016/07/06

■相変わらず句集を読みます

A 句を読む

B 句集を読む

このふたつは自分の中で大きく違う。

〔A 句を読む〕とは、ふだんから句会で、雑誌で、インターネット上で、数多くの句を目にする。句(俳句・川柳その他)を親しくしている。

〔B 句集を読む〕が〔A〕と違うのは、本を読むという行為だから。読む「対象」の相違ではなく、こちらの「行為」の相違なのでしょう。


このところ「週刊俳句」で句集レビューを立て続けに書かせてもらっています。

世界のありどころ 岡野泰輔『なめらかな世界の肉』の最初のページを読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/blog-post_65.html

句集全体に言及したり、一句を取り上げたりはよくあるのだけれど、「最初の1ページだけを読む」というのはめずらしいのではないか、という発想。業界初と銘打ちたい。あえて。

句集レビューを読んで、その句集の内容がだいたいわかった気になる、というレビューも多い。それは読者にとって便利だけれど、私としては避けたい。句の引用数は最小限に、という姿勢。その意味でも「1ページだけ」はアリ。



ところで、句集といえば(話ががらりと変わります)、先日、八田木枯あらくれし日月の』(1995年/富士見書房)を古書にて入手。

うれしい!

木枯さんの句集は全句集などを除いて6点ある。句集タイトルはいずれも美しく、隙がない。そのなかでも一番は? と問われたら、あらくれし日月の鈔』を挙げる。シビレませんか、このタイトル。

木枯句を読むというだけなら、幸いなことに全句集があるから、それで済む。でも、ブツとして本を持っておきたいと思っていたわけです。とくにあらくれし日月鈔』は。

ところで、木枯さんとお付き合いさせていただくようになったのは比較的新しく、そのとき、第5句集『夜さり』(2004年)はすでに刊行。これと第4句集『天袋』を購入していました。お話をさせていただくようになったある日、過去の句集、残部があるぶんなら、「あなたにあげよう」と言っていただいたことがあった。ふつうなら、小躍りして、「ありがとうございます」と厚意に甘えさせていただくべきだったのだろうが、固辞した。「そんなもったいないこと! いずれ古書で手に入れます」と。

押し頂くのが礼節かもしれない。でも、そのときは、固辞が、私の敬意のあらわし方だったのだと思う。木枯さんはえらぶったところのまったくない人で、若輩の甘えを受け入れる度量がじゅうぶんにあった。けれども、それだからこそ、こちらで距離をつくっておかないといけないという気があった。

こう言うと殊勝に聞こえるが、古書探索はそれほど進捗せず、以降、入手したのは第1句集『汗馬楽鈔』(1988年)のみ。なんとなく時間が経過していた。

そこへ、今回のあらくれし日月の鈔』。もう一度言いますが、うれしい!

さて。

届いた小包の包装をひらくと、シャープなB/Wツートンの函。タイトルだけでなく、造本・装幀(伊藤鑛治)にもシビれまくっております。おまけに本文は活版印刷。快感愉悦であります。




白い表紙に箔押し。

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