2008/09/07

俳人の処女作

昨日の『俳句研究』(1978年1月号)特集「新俳壇の中堅」の話題をひきつづき。

この特集、自選15句にくわえ、39人の(当時)中堅俳人の処女作(公表)が年表に整理されて収録されていて、読者としてはそちらにも興味をそそられます。ちょっと見ていきます。

  栗の木を見あげる枝に栗がなる  加藤郁乎(1938年)

「冬の波冬の波止場に来て返す」(郁乎)の原質を見るような句ですが、本人の注釈として「処女作には参った。『黎明』昭和13年11月号から拾い出してみたが(…略…)、亡父紫舟選の雑詠欄にケツから数えて14番目、本名で1句入選している。ちなみに10歳の秋、祖母の松浦もと女が手を入れたかもしれない」とある。

  鳥墜ちて青野に伏せり重き脳  安井浩司(1958年)

きのう取り上げた安井浩司は「いかにも」な下五。

  一日の外套の重み妻に渡す  飯島晴子(1960年)

外套はマントと読むのだろう。あざやかな句の多い俳人。期待して読んだが、ちょっと反応がしづらい。

意外だったのは次の処女作。

  面影や港にひらく星祭  阿部完市(1952年)

阿部完市のことを、「いまいちばん〈行っちゃった感〉のある俳人」として敬慕しているが、処女作は、まったくどこにも行っていない。


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