「週刊俳句」2008年8月の10句作品について書いた。その記事には含めなかったが、2つの句がペアとして強く印象に残った(と同時に好きな句)。
台風や薬缶に頭蓋ほどの闇 山口優夢
水澄むや脳をピアノにして眠る 山田露結
ともに頭部(頭蓋、脳)に別の事物(薬缶、ピアノ)をあてがったもの。
1句内で2つのモノは互換性をもつようにも思える。「薬缶に頭蓋ほどの闇」と「頭蓋に薬缶ほどの闇」は意味するところが違うし、なにより詠む対象が違う。「脳をピアノにして」と「ピアノを脳にして」は、かなり近い意味になるが、それでも違うことは違う。
しかし、こうした違いは、意味を追えば、という話。意味にそれほどの拘りを持たなければ、喚起されるイメージが優先され、互換性が成り立つ。
このようにこの2つの句を眺めていると、やがてピアノと薬缶とが、自分の中で重なり合う、というか繋がって見えてくるから、不思議。
薬缶ほどの闇=ピアノ
これはもちろん句の作者両氏には関わりのないこと。一読者の、どうということもない経験の話ざんす。
追記:
俳句的慣例めくが、この2つの句、それぞれ、「台風や」「水澄むや」という上五の季語が、きわめて巧みに句全体に響きを与えていると思う。そのことを言い添えておきますです。はい。
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